このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日本100名城


青葉城址

仙台城は日本100名城 のひとつ。


仙台城大手門跡


 寛文2年(1661年)8月、 西山宗因 は仙台にやってきた。

 仙台にいたりつきぬ。太守領じ給ふ所なれば、いふも更也。城郭は岩壁をたたんで雲にそびえ、うしろの山は衆木青みわたりて、所々黄ばみ紅葉したり。前に川有、しら波岸をうつてみなぎり落、たゞには過しがたくて、

   前の守たゞひと目にてみちのくの仙台川やまもり置らむ


 嘉永5年(1852年)3月18日、 吉田松陰多賀城 から仙台へ。翌19日、青葉城にやってきた。

 談話數次にして、相伴ひて城の前門に至る。廣瀬川城を繞り、前面に板橋を架す。橋内を川内と曰ひ、亦士大夫の第宅多し。


青葉城といったら伊達政宗。

 青葉城址の 伊達政宗騎馬像 からちょっと離れた所に島崎藤村の詩碑がある。とはいっても、詩碑は昭和11年に建てられたものだそうで、詩碑そのものは読めない。


心のやどのみやぎ野よ 乱れて熱きわが身には
日かげもうすく草かれて 荒れたる野こそうれしけれ
独りさみしきわが耳は 吹く北風を琴ときき
悲しみ深き吾が眼には 色無き石も花とみき

平成19年(2007年)、藤村の詩碑は 名掛丁藤村広場 に移された。

 明治29年(1896年)9月、 島崎藤村 は東北学院の英語と作文の教師として仙台に赴任した。『若菜集』は明治30年(1897年)8月に刊行されたが、その詩51篇の半分は仙台で書かれたもの。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

 有名な「初恋」は『文學界』第46号(1896年10月)に発表されたもの。藤村が仙台に赴任した頃だ。

 昭和6年(1931年)11月、 斎藤茂吉 は青葉城を訪れている。

この城に吾も一たび來りつとかへりみむ記憶も幽かになりて

『石泉』

 昭和11年(1936年)6月23日、 種田山頭火 は仙台に着き、翌24日、市内を見物した。

 仙台はよい都会だ。品格のある都会である。市内で郭公が啼き、河鹿が鳴く。

 広瀬川、青葉城。


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