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芭蕉の句
唐崎の松は花より朧にて
出典は
『野ざらし紀行』
。
「
湖水の眺望
」と前書きがある。
貞亨2年(1685年)、芭蕉42歳の句。
唐崎の松
「近江八景」の1つ。
『雑談集』には「
大津
尚白
亭にて
」とある。
一、伏見にて、一夜俳諧もよほされけるに、かたはらより「芭蕉翁の名句、いづれにてや侍る」と、尋出られけり。折ふしの機嫌にては、大津尚白亭にて、
辛崎の松は花より朧にて
と申されるこそ、一句の首尾、言外の意味、あふみの人もいまだ見のこしたる成べし。其けしき、こゝにもきらきらとうつろい侍るにや」と申たれば、又かたはらより、中古の頑作にふけりて、是非の境に本意をおほはれし人さし出て、「其句、誠に俳諧の骨髄得たれども、慥
(たしか)
なる切字なし。すべて名人の格的には、さやうの姿をも発句とゆるし申にや」と不審しける。答へに、「哉どまりの発句に、にてどまりの第三を嫌へるによりて、しらるべきか。おぼろ哉と申句なるべきを、句に句なしとて、かくは云下し申されたる成べし。朧にてと居
(スヘ)
られて、哉よりも猶徹たるひゞきの侍る。是、句中の句、他に的当なかるべし」と。此論を再
ビ
、翁に申述侍れば、「一句の問答に於ては然るべし。但
シ
予が方寸の上に分別なし。いはゞ、さゞ波やまのゝ入江に駒とめてひらの高根のはなをみる哉、只眼前なるは」と申されけり。
『雑談集』
○発句は、なるべきとなるまじきを見る事、第一の工夫なるべし。
辛崎の松は花よりおぼろにて
此句、錦をきてよる行人のごとし。好悪はその人ぞしり給ふらめ。たまたま起定転合の四格をしれる人も、第三のとまりはなに故に文字のさだまるといふ事をしらねば、一生を返魂の烟の中にかげろふ。かなしむべき風雅の罪人
(ツミンド)
ならむ。此句、花の字なからましかばしらず。
『葛の松原』
伏見の作者、にて留の難有。其角曰、にては哉にかよふ。この故に哉どめのほ句に、にて留の第三を嫌ふ。哉といへば句切迫なれバ、にてとハ侍也。呂丸曰、にて留の事は已に其角が解有。又此ハ第三の句也。いかでほ句とはなし給ふや。去來曰、是ハ即興感偶にて、ほ句たる事うたがひなし。第三ハ句案に渡る。もし句案に渡らバ第二等にくだらん。先師重て曰、角・來が辨皆理屈なり。我ハたゞ花より松の朧にて、おもしろかりしのみト也。
『去来抄』
『鎌倉海道』では千那亭の句とする。また初案は「
辛崎の松は小町が身の朧
」であった。
辛崎の松は花より朧にて
芭蕉
山はさくらをしほる春雨
千那
此発句は世人知
ル
翁の吟也湖水の眺望を詠せられし葡萄坊にての句也去比或
ル
集に此句の事を記
ス
湖南尚白亭にての吟と云へり大
キ
に非也まさに此脇の句証拠なりされは此句に脇ある事蕉門俳諧師しらぬも残おほしよつて是を記
ス
此句はしめは松は小町か身の朧とも申されしか師弟鍛錬の後花より朧には極りぬる
『鎌倉海道』
滋賀県大津市本堅田の
本福寺
、唐崎の
唐崎神社
、神宮町の
近江神宮
大分県杵築市の
河野氏宅
に句碑がある。
近江神宮の句碑
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