このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな
大津市本堅田に本福寺 という寺がある。
浄土真宗本願寺派
の寺である。
俳聖芭蕉翁は十一世住職明式俳号
千那
を訪ねること3度、あるとき当寺で病に臥し、
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな
の名句を残した。境内に真筆の句碑がある。
本福寺山門
貞享2年(1685年)、千那は『野ざらし紀行』の旅の途上で芭蕉に入門。
山門を入ると、
内藤丈草
の句碑があった。
水底を見て来た貌の小鴨哉
出典は
『猿蓑』
(去来・凡兆共編)。
榎本其角
の句碑
大津 まつもとにて
雪日や船頭どのゝ顔のいろ
出典は
『五元集』
。
三上千那の句碑があった。
しぐれきや並びかねたるいさざぶね
(※「いさざ」=魚+少)
「いさざ」は琵琶湖で捕れる鯊
(はぜ)
に似た小魚。
出典は
『猿蓑』
(去来・凡兆共編)。
昭和57年(1982年)4月、千那顕彰会建立。
青空が俄に曇り、時雨が来た。
芭蕉の句碑があった。
からさきの松は花よりおぼろにて
出典は
『野ざらし紀行』
。
貞亨2年(1685年)、芭蕉42歳の句。
本福寺の裏庭に「旅寝塚」があった。
千 那 翁
芭 蕉 翁
角 上 翁
寛保3年(1743年)、芭蕉五十回忌に十二世住職角上が「病雁」の短冊を埋めて建立。 角上は千那の養嗣三上明因。
『諸国翁墳記』
に「
旅寝塚 江州堅田本福寺
ニ
アリ 角上建
」とある。
角上の句
寺前の興もとりあへず
少年
小僧ども庭に出けり罌粟坊主
角上
『いつを昔』
千那子息
山寺は山椒くさき火たつかな
角上
『韻塞』
堅田
剃り嫌ひいかにやいかにや夏けしき
角上
『青ふくべ』
「旅寝塚」の奥に芭蕉の句碑があった。
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな
出典は
『猿蓑』
(
去来
・凡兆共編)。
元禄3年(1689年)、芭蕉45歳の句。
昭和38年(1963年)、芭蕉二百七十回忌に本福寺二十世三上明暢建立。
芭蕉の真筆である。
山口誓子
は本福寺に芭蕉の句碑を訪ねた。
本福寺は満月寺から引き返して右へ曲った奥にある。いつもは見過ごしていた寺であるが、今日は芭蕉の句碑を見んとて訪ねた。
しかし句碑の所在は直ぐにはわからない。通りかかったひとが案内して呉れた。そのひとは信徒総代だった。コンクリートの本堂の裏庭は藪であったが、大きな山茶花の下に三翁塚(芭蕉翁、千那翁、角上翁)、すこし離れて芭蕉の
病雁の夜寒に落て旅寝哉
の句碑が立っている。ずんぐりした自然石。
(中略)
昭和三十八年、第二十世の住職がこの句碑を建てた。ちなみに、千那は第十一世、角上は第十二世。
『句碑をたずねて』
(近江路)
浮御堂
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