このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「芭蕉句碑」


ひる見れは首すし赤き螢かな

甲斐市下今井の県道6号甲府韮崎線は旧 甲州街道


旧甲州街道沿いに「泣石」があった。


 下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行き約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。

 天正10年(1582年)3月2日、 高遠城 が落城すると 武田勝頼 一行は完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。その途中、勝頼夫人はこの地で燃える新府韮崎城を振り返り涙を流したという言伝えがある。

甲斐市教育委員会

 旧甲州街道を韮崎に向かい、六反川の手前を右に入ると、ピンクの小さな橋がある。


橋のたもとに「はせを」の句碑があった。


ひる見れは首すし赤き螢かな

出典は 『芭蕉句選』

「追加」として収録されている。

『風羅袖日記』『芭蕉句鑑』 は「貞享二丑年」とする。

  『芭蕉翁發句集』俳諧一葉集』『芭蕉翁句解参考』 にも収録されているが、 「存疑」 の句とされる。

「此辺に蛍合戦ありしを芭蕉翁一句詠ぜし」という言い伝えがある。

明治18年(1885年)4月、建立。

「芭蕉句碑」 に戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください