このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
春もやゝ氣色とゝのふ月と梅
燕市吉田上町に本久寺という寺がある。
本久寺
法華宗
陣門流の寺である。
本堂の左手に芭蕉の句碑があった。
春もやゝ氣色とゝのふ月と梅
出典は
『薦獅子集』
(巴水編)。
元禄6年(1693年)1月20日、
深川芭蕉庵
から大垣の
木因
に宛てた書簡にある。
芭蕉は江戸時代の正保元年(1644年)
伊賀上野
に生まれ、本名松尾宗房、13の時俳諧を好む城代藤堂家の嗣子藤堂主計良忠の小姓となり、その師北山季吟に俳諧を学ぶ。生来積極的な意欲の持主であり、その行動は数多くの句集に見られるごとく、古人の詩心と伝統を摂取する一方、絶えず新鮮さを求め、庶民的な表現のなかにもはげしい主観の燃焼があり、誹諧は芭蕉によってはじめて真の芸術とし大成された。
他面深く旅を愛し、多くの紀行文を残している。この句碑は元禄2年(1689年)3月江戸を発って東北地方を一巡、越後、加賀、更に京阪地方にまで遊び、同4年10月までの3年にわたるいわゆる「奥の細道」の大旅行の際、当地の同好の人達が芭蕉の詩心にふれ、永く後世に止めるべく建立したものである。
「奥の細道」の旅は
大垣
で終わる。
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