このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
冬牡丹千鳥よ雪のほとゝきす
桑名市北寺町に本統寺という寺がある。
本統寺山門
真宗大谷派
東本願寺桑名別院である。
当桑名別院本願寺は教如上人の開創にて、開基は同上人の息女長姫にして、今を去る382年の慶長元年(1596年)の創立である。
山門を入ると、左手に芭蕉の句碑があった。
冬牡丹千鳥よ雪のほとゝきす
貞享元年(1684年)10月、芭蕉は
木因
と本統寺 三世の大谷琢恵を訪れている。
桑名の本当寺は、牡丹に戯れ給ふ、一会の句、
冬ぼたん千鳥よ雪の郭公
はせを
釜たぎる夜半や折々浦千鳥
木因
『桜下文集』(句商人)
『笈日記』
には「古益亭」と前書き、「
ちどりか雪の
」とある。
芭蕉「野ざらし紀行」跡
冬牡丹句碑
市指定文化財
冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす はせお
松尾芭蕉が貞享元年(1684年)
「野ざらし紀行」
の旅のおり、本統寺で詠んだ句である。本当寺住職大谷琢恵は、古益の俳号をもつ芭蕉と同門の俳人であったので、句会が催されたと思われる。
句碑は江戸時代に既に建立されていたが、失われていたため、昭和12年に揮毫は大阪俳人の野田別天楼、施主は桑名の俳人小林雨月によって表門に建てられた。しかし、戦災によって境内が灰燼に帰したので、焼け残った句碑は現在地に移された。
平成8年
桑名市教育委員会
『諸国翁墳記』
に「
二鳥塚 勢州桑名駅
ニ
在 杉夫 建 冬ほたん千鳥か雪のほとゝきす はせを
」とある。
杉夫は
雲裡坊
の初号。
本統寺本堂
山口誓子
は本統寺に芭蕉の句碑を訪ねている。
それから寺町の本統寺の芭蕉の句碑を見に行く。その寺は東本願寺別院。俗に桑名御坊と云う。
門を入って左手の池に面して句碑は立っている。
冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす
芭蕉がその寺に来たとき、冬の牡丹が咲いていた。雪に咲いていた。牡丹にはほととぎすはつきものだが、ほととぎすは鳴かず、揖斐川の千鳥が鳴いた。その千鳥は「雪のほととぎす」と見立てるとよい、と云うのだ。持って廻った句だ。
句碑の石は大きな自然石で、その右半分に句を彫り、左半分は空白。
私はこの空白を残した、贅沢な石の使い方が気に入った。
昭和十二年の建立で、別天楼の書であるが、「保登々幾須」と書いてある。旧い句碑が亡くなって、それに代る新しい句碑だと云うが、旧い句碑にそんな万葉仮名が書いてあったのか。
『句碑をたずねて』
(伊勢・伊賀路)
芭蕉は本統寺から
浜の地蔵
へ。
芭蕉の句碑
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください