このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
海暮れて鴨の声ほのかに白し
下関市長府宮の内町に
忌宮神社
(HP)がある。
長門国二ノ宮、旧国幣社。
忌宮神社
祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇。
延喜式内社
である。
文明12年(1480年)9月8日、
宗祇
は筑紫の旅の途中で忌宮神社を訪れた。
仲哀天皇の皇居は豊浦といふ浦成べし。当社は稚桜宮天皇におはします。神主則対面して神宮の物語す。齡はや六十に及ぶやと見えて、何となく神徳の深さも顕はるゝ心地して、殊勝にぞ覚え侍る。社参は幸明日九日の節なれば、此日は打休みぬ。夕月夜の影お
(を)
かしき程に、海の上も凪ぎ渡りて心澄めり。取敢へず、
月にみつ夕しほさむし秋の海
『筑紫道記』
宗祇自筆の短冊が忌宮神社に現存する。
社殿右手の石段に芭蕉の句碑があった。
海暮れて鴨の声ほのかに白し
出典は
『野ざらし紀行』
。
「
海邊に日暮して
」と前書きがある。
貞亨元年(1684年)12月、熱田で詠まれた句。
「五・五・七」の破調句である。
昭和3年(1928年)10月8日、
高浜虚子
は忌宮神社に参拝している。
乃木大將舊邸を見る
聞きしよりもあまり小さき柿の家
十月十二日。轉じて
和布刈神社
、
壇の浦
、滿珠、干珠等等を遠
望し長府に上る。忌の宮參拜、乃木舊邸を見る。
『五百句時代』
昭和8年(1933年)6月5日、
種田山頭火
は長府の町を散策。忌宮神社を訪れている。
覚苑寺、
功山寺
、忌宮 、等々のあたりをそゞろあるきする、青葉若葉、水色水声、あざやかでなつかしい。
『行乞記 北九州行乞』
芭蕉の句碑
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください