このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
觀音の甍見やりつ花の雲
長野市北長池に常恩寺というお寺がある。
法輪山常恩寺
曹洞宗
の寺である。
北長池の村寺で、信徒150人。檀家はないそうだ。
信徒と檀家の違いがよく分からない。
十二北面山観音堂
十二北面山観音は天平17年(745年)
行基大僧正
の作といわれている。
永禄4年(1561年)9月10日、武田信繁は
川中島合戦
の時、観音像もろともに水中に身を投げて討ち死した。
寛政3年(1791年)8月17日、千曲川・犀川大洪水。畑の中で流された仏像を発見し、常恩寺に安置。
観音堂西側の築山に芭蕉の句碑がある。
觀音の甍見やりつ花の雲
芭蕉
御佛のわかれは三世のかゝみかな
乕杖
芭蕉の句の出典は『末若葉』(
其角
編)。
貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。
芭蕉が
深川の草庵
で病気で寝ていた時に作ったという。
乕杖
は宮本八郎兵衛。
加舎白雄
門の俳人。
文政6年(1823年)8月13日、83歳で亡くなる。
文政7年(1824年)、常恩寺の八代洞海大航和尚、巨朴、如酔建立。武曰書。
夕ぼたんものいふ如くかほ
(を)
るなり
巨朴
鬼を追し男先立種おろし
如酔
『物の名』
この種の花雲塚は別所温泉の
北向観音堂
を始め、長野県に6か所建てられているそうだ。
観音堂に俳額が奉納されていた。
天保15年(1844年)7月、奉納。
奉納四季
武曰
居士
見む事のやすくてかなし今日の月
舞蝶のとこまで我を連歩行
撰者
月国
月国は冬日庵三世。
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