このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
月影や四門四宗もたゝ一つ
甲府市善光寺に
甲斐善光寺
(HP)がある。
定額山浄智院善光寺
永禄元年(1558年)、
武田信玄
は川中島の合戦で信濃
善光寺
の焼失を恐れ、御本尊善光寺如来をはじめ諸仏寺宝類を奉遷した。
浄土宗
の寺である。
善光寺山門
宝暦4年(1754年)、焼失。
明和4年(1767年)、上棟。
国指定の重要文化財である。
善光寺金堂
宝暦4年(1754年)、焼失。
寛政8年(1796年)、竣工。
国指定の重要文化財。
貞亨3年(1686年)、大淀三千風は甲府を訪れ、善光寺にて興行。
○偖寺中かなたこなたにまねかれ。庭の記屏風腰ばり何くれと書投
(かきすて)
。四日逗留して同廿二日甲府柳町伴野氏につく。親子饗應大かたならず。情にほだし八日留る。善光寺にて興行。天神畫像に。
○梅神の毛虫祓い秡や下枝風
○是にて滿座せし。
『日本行脚文集』(巻之六)
安永5年(1775年)、
加舎白雄
は甲斐善光寺に参詣している。
灯籠仏に参りて、
罪科の重し軽しや春の風
「甲峡記行」
金堂の左手に「芭蕉翁月影塚」があった。
月影や四門四宗もたゝ一つ
出典は
『更科紀行』
。
貞亨5年(1688年)8月16日、善光寺で詠まれた句。
安永4年(1775年)10月、如雪庵尺五建立。
記念集
『月影冢の集』
を刊行。
『諸国翁墳記』
に「
月影塚 甲斐府中善光寺
ニ
アリ 尺五連中立
」とある。
尺五は江戸の人。
佐久間柳居
門下加藤巻阿の弟子。
可都里
『名録帖』
に「尺五 如雪庵」とある。
天明8年(1788年)3月13日、
蝶夢
は江戸へ下る途中で善光寺に参詣している。
韮崎・龍王・宇津谷・府中、来迎精舎の方丈は、老師法縁有りて、十三日も逗留して所々参詣す。中にも新善光寺は、河中島より信玄公甲府に遷して、籠仏と申奉るは三国伝来の三尊仏とて、開帳の折に逢ふも偏に尊し。勅封の御印状を拝して、難有と申もおろかにめで(た)し。
『富士美行脚』
文化3年(1806年)6月26日、菜窓菜英は甲斐善光寺に詣でた。
善光寺へ詣、朝氣の洞氷は道の傳はるく、残して甲府に到る。
『山かつら』
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