このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


古池やかはづ飛び込む水の音

清洲橋通りと清澄通りの交差点に清澄庭園がある。


清澄庭園


清澄庭園の奥に芭蕉の句碑がある。


古池やかはづ飛び込む水の音

「古池の句」碑由来

 当庭園より北北西400メートル程の所に 深川芭蕉庵跡 (江東区常磐1丁目3番・都指定史跡)があります。

 松尾芭蕉は、延宝8年(1680年)から元禄7年(1694年)まで、門人 杉山杉風 の生簀(いけす)の番屋を改築して、芭蕉庵として住んでいました。

 かの有名な「古池の句」は、この芭蕉庵で貞享3年(1685年)春、詠まれています。

 この碑は昭和9年に其角堂9代目の晋永湖という神田生まれの俳人が建てたものですが、芭蕉庵の改修の際、その敷地が狭いので、特に東京市長にお願いをしてこの地に移したものです。従って、この場所が芭蕉庵と直接ゆかりがあるということではありません。

晋永湖は其角堂八世田辺機一の子。

 石田波郷は『江東歳時記』で 清澄庭園 のことを書いているが、芭蕉の句碑に触れていない。

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