このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


此松の実生せし代や神の秋

鹿島神宮 に芭蕉の句碑がある。

鹿島神宮楼門


 宝暦9年(1759年)8月、 大島蓼太 は門人眠江の案内で老僧求光を伴い、鹿島神宮を訪れた。

   鹿島社頭

浪にわく日の本松に月のもと


   鹿島にて

人の代に成て見上るつゝじかな

   鹿嶋

筥船を神代の宿に月見かな


加舎白雄 は鹿島神宮の鹿を句に詠んでいる。

   鹿島社頭

 かすがの神と一躰にましますしるしとて、むれなる神獣はあをによしならにもおとらざりける。

のぼる日の海見てたつや春の鹿

「鎌都」

芭蕉の句碑


此松の実生せし代や神の秋

 貞亨4年(1687年)8月、芭蕉は 曾良 と禅僧の宗波を引き連れ、鹿島神宮を参詣。

鹿島神宮の「神前」で詠まれた句。

   神前

此松の実ばへせし代や神の秋
   桃青

ぬぐはヾや石のおましの苔の露
   宗波

膝折ルやかしこまり鳴鹿の聲
   曾良


 明和3年(1766年)4月、松原庵 鳥醉 、松露庵 烏明 、鹿島宮中此松庵連建立。

山本龍斎 揮毫。龍斎は 建部巣兆 の父である。

茨城県の芭蕉句碑としては 根本寺 の句碑に次いで2番目に古い。

 安永7年(1778年)8月17日、横田柳几は芭蕉の句碑を見ている。

御山アリ   此松の実生せし代や神の秋    芭蕉


 天明2年(1782年)、 加藤暁台 は房総行脚。鹿島を訪れた。

   鹿島

をとめ子か御ン衣(ソ)うつらし神の石
   暁台


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