このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句
百年のけしきを庭の落葉かな
高崎市下室田町に大森神社がある。
大森神社
祭神は國立常命。
社殿の裏に芭蕉の句碑があった。
百年のけしきを庭の落葉かな
元禄4年(1691年)9月28日、芭蕉は膳所
義仲寺
を後にして東下の旅に出る。
10月、彦根市平田の浄土宗
光明遍照寺
で詠まれた句。
李由
(1662〜1705)は本名河野通賢。光明遍照寺第十四世住職。
文化年間、
平花庵雨什
揮毫。
雨什は高崎九蔵町の人。
白井鳥酔
の高弟。松露庵四世。
文字通り庭すみの落葉隠れに眠っていたのを、何らのお節介ぞ、ある時代の田舎俳士共が掘起して、世間へ出してやるとかを口実に、碑背に並ぶ古俳人をまっ殺して麗々と自分達の〝芳名〟に彫替えた怪奇な裏面史を有する点で県下の名碑。
『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)
『はせをつか』
(楓幻亜編)に「
木葉冢 同室田宿 三尺の山も嵐の木葉かな
」とあるが、「木葉冢」は現存しない。
芭蕉の句
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください