このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
春もやゝけしきとゝのふ月と梅
嵐山町は江戸時代に江戸と上州を結ぶ川越児玉往還の菅谷宿として栄えた。
与野の俳人
鈴木荘丹
は菅谷村の俳人玄益を訪ねている。
嵐山町志賀の路傍に芭蕉の句碑があった。
春もやゝけしきとゝのふ月と梅
出典は
『薦獅子集』
(巴水編)。
元禄6年(1693年)1月20日、
深川芭蕉庵
から大垣の
木因
に宛てた書簡にある。
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