このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
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愛知
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かくさぬそ宿は菜汁に唐が羅し
豊川市伊奈町茶屋に「伊奈村立場茶屋 加藤家跡」がある。
「伊奈村立場茶屋 加藤家跡」に芭蕉の句碑があった。
かくさぬそ宿は菜汁に唐が羅し
出典は
『猫の耳』
。「
三州烏巣にあひ給て
」と前書きがある。
貞亨5年(1688年)、芭蕉が伊奈村立場茶屋の加藤烏巣亭で詠まれた句。
烏巣 三州吉田、加藤玄順、醫名也、鎌倉實記作者、良香散ノ店ノ人ナリ。
『蕉門諸生全伝』
(遠藤曰人稿)
昭和15年(1940年)5月、建立。
伊奈村立場茶屋 加藤家跡
(俗称 茶屋本陣跡)
一 茶屋の地名
東海道
吉田宿
と
御油宿
の中間にあたり、立場茶屋が設けられたので、茶屋の地名ができた。
二 加藤家と良香散
茶屋のうち格式の高い加藤家(初代は大林平右衛門)では、「良香散」という腹薬が売られ、この薬は茶屋の地名よりも有名であった。交通の変遷によって今はこの古井戸1つ残すのみとなった。
三 明治天皇御旧跡
東京遷都の時、明治天皇は、この加藤家で御休憩になられた。その時天皇が使用された箸が、牧野英一氏宅に保存されている。
四 俳人烏巣
烏巣は、加藤家の生まれで、謙斎といい芭蕉と親交があり、京都で医者をつとめていた。
五 芭蕉句碑 (芭蕉が烏巣方へ1泊した時の作)
「かくさぬそ 宿は菜汁に 唐が羅し」
六 烏巣句碑
「ももの花 さかひしまらぬ かきね哉」
小坂井町教育委員会
芭蕉の句碑と並んで、烏巣の句碑があった。
ももの花さかひしまらぬかきね哉
『猿蓑』
に収録されている句である。
昭和25年(1950年)3月、建立。
享和元年(1801年)3月4日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で、「良香散」のことを書いている。
小坂井村に人家あり。茶屋町の立場にいれば、左の方に腰瓦の屋つくりしたる薬店あり。良香散といへる薬をひさぐ。
『改元紀行』
文化2年(1805年)11月11日、大田南畝は長崎から江戸に向かう途中で伊奈村立場茶屋で休む。
赤坂御油をもこえて、伊奈村の良香散をうるものゝ前にいこふ。
『小春紀行』
2010年2月1日、小坂井町は豊川市に編入合併された。
烏巣の句
その中にえり出されたる穂長哉
『曠野後集』
芭蕉の句碑
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