このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

牧水ゆかりの地

『みなかみ紀行』 〜その後
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 『みなかみ紀行』は「私はとっとと掌を立てた様な急坂を湯元温泉の方へ馳け降り始めた。」という記述の後、「中禅寺湖にて」の短歌4首、「鳴虫山の鹿」の短歌4首で終わっている。

10月28日

 牧水は「かつきり正午に」日光湯元 板屋旅館 に着くと、午後1時半には奥さんに絵葉書を5枚出している。(その1)

 それから中禪寺へゆく、そこでは木馬の叔父さんのうち米屋へ泊る、多分其處に齋藤君も來てるかも知れない、今その旨打電しておいたから。

(その4)では板屋旅館の待遇について書いている。

 此處でも一泊客の待遇を受けて蒲團部屋へ入れられてるが、然し宿の人や女中たちの態度が四萬とは雲泥の差だ、いゝ気持で床の間もない一室に鎭座ましましける所だ。

四万温泉 「田村旅館」 では、よほど不快な思いをしたようである。

 午後、板屋旅館から友人に絵葉書を出している。「日光金精峠ヨリ湯本湖及男體山ヲ望ム繪葉書」だそうだ。

 この湖の細く切れ込んだ奥に湯元温泉はある、実にいい場所だ、たとへ芦の湯のそばに芦の湖を持つて行つても此処ほどの深みは出ないね、

「この湖」とは湯の湖のこと。


金精道路より湯の湖及び男体山を望む


10月29日

牧水は10月29日朝8時35分にも奥さんに手紙を出している。

 今日中禪寺米屋泊、明日日光町斎藤方、としてあるが、どこかで一日はとめられるとおもふ、で、宇都宮歌會二日夜、同喜連川三日、ときめ、中一日休み(喜連川か東京かで)、五日東京での「酒壷」の會、といふ風にきめて、昨日、ここに着くとすぐそれぞれ通知を出しておいた、

牧水は湯元から戦場ヶ原を歩いて、中禅寺湖畔米屋に泊まった。

中禅寺湖にて

裏山に雪の来ぬると湖岸の百木のもみぢ散りいそぐかも

見はるかす四方の黒木の峰澄みてこの湖岸の紅葉照るなり

湖をかこめる四方の山なみの黒木の森は冬さびにけり

舟うけて漕ぐ人も見ゆみづうみの岸辺の紅葉照り匂ふ日を

中禅寺湖畔「米屋旅館」


 「米屋旅館」のホームページに「大正時代には、 与謝野晶子、鉄幹夫妻 がご宿泊になり、ここで詠まれた歌が当館に残されています。」と書いてあるが、牧水のことは書いてない。

 昭和31年(1956年)、米屋旅館は火事で全焼。写真の建物は若山牧水、与謝野鉄幹、晶子夫妻が宿泊した当時のものではない。2004年5月「米屋旅館」は廃業。写真の建物も取り壊されてしまった。

戦前の米屋旅館①【与謝野晶子ネット提供】


幽邃なる嵐氣に包まれたる 日光中禅寺米屋旅館

戦前の米屋旅館②【与謝野晶子ネット提供】


若山牧水、与謝野鉄幹、晶子夫妻が宿泊した建物であろう。

 江戸時代の初め、男体山の修行僧・関係者への茶屋が6軒許可になり、その内の1軒が明治5年の男体山女人禁制解除とともに旅館となったのが「米屋旅館」と言い伝えられている。

廃業してしまったから現在はホームページもないので、確かめようもない。

 牧水は10月29日3時過ぎに中禅寺湖畔米屋に来て、5時半奥さんに絵葉書を出している。

 3時すぎ、この宿に来た、部屋から真向ひに湖を隔てて男体山が仰がるゝ、雲が降りて来、暫くもじつとしてゐない、いゝ形をした山だ、伸びやかに育つた12、3歳の男の子を見るおもひがする。男体山とはよくつけた、別名黒髪山もまた当を得てゐる。



10月30日

 『みなかみ紀行』の旅を振り返って、中禅寺湖畔米屋から同郷の友人に絵葉書を出している。

 14日信州岩村田を振出しに、歩きも歩いたり、毎日草鞋がけて上州地の山から渓を経巡り、一昨日、金精峠を越えて野州へ入つた、昨日、湯元からぶらぶらと戦場ヶ原を歩いて此処へ来た、案外にいゝので一泊、今日は日光町まで瀧見物だ、

 中禅寺湖畔米屋の後、米屋旅館主人の親類で下野新聞の記者、板挽町(現・日光市匠町)の斎藤雄吉宅に泊まっている。


しぐるるや朝酒長き習わしの江塘が家の古板びさし

「江塘」は斎藤雄吉の号。

「泣虫山の鹿」と題した4首のうち、初めの2首

聞きのよき鳴虫山はうばたまの黒髪山に向ふまろ山

鹿のゐて今も鳴くとふ下野の鳴虫山の峰のまどかさ

鳴虫山


日光市花石町の 花石神社 境内に牧水の歌碑がある。

 第14歌集『山桜の歌』には「鳴虫山は大谷川を距て女峯山男体山に向ふ、折々その山にて鹿の鳴くを聞く事ありと友の言へるを聞きて。」とある。

この「友」が斎藤雄吉である。

日光宇都宮道路日光ICと清滝ICの間に泣虫山トンネルがある。


この辺りで鹿は見られないが、戦場ヶ原には鹿がいた。


牧水は斎藤雄吉宅に2泊して、日光を離れたのは11月2日。

11月3日

 牧水は11月2日 宇都宮 、3日 喜連川 に泊まり、翌4日朝、喜連川から奥さんに葉書を出している。

はるかなる旅を辿り來いまこゝにこの友どちと遭へるたのしさ

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