このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
三島大明神社
〜正岡子規〜
伊予鉄道郡中線松山市駅から土居田駅へ。
線路沿いの道を歩いて踏切を渡る。
松山市余戸東に三島大明神社がある。
手引松
手引松は、目通2.5メートルほどの松が地上の6メートルところでH形につながり、手を引き合った姿にみえるところから、いつとはなく手引の松と呼ばれるようになったもので、余戸の象徴として広く人々に親しまれてきた。樹令は推定200年位、学術的にも貴重なものとされ、昭和37年には松山市の天然記念物の指定を受けた。松の保護には意が尽くされたが、昭和54年秋松くい虫の被害で枯死した。
正岡子規は
『散策集』
明治28年10月7日の項に「をさなき時の戯れも思ひ出されたり 竹の宮の手引松は今猶残りて二十年の昔にくらべて太りたる体も見えず」と記し「行く秋や手を引きあひし松二本」と詠んでいる。
かって人々が敬愛し、子規が幼時に戯れた手引の松の枯死を悲しみ、ここにそのこんせきを保存して記録をとどめる。
松山市教育委員会
現在は、そのH状の部分だけが保存されている。
正岡子規の句碑
余戸手引松
行く秋や手を引きあひし松二本
子規自筆の句碑である。
昭和8年(1933年)9月、建立。
松山市余戸南の
出合橋
にある句碑とともに子規の句碑第1号といわれる。
昭和15年(1940年)9月8日、
種田山頭火
は余戸の子規句碑を見ている。
西山の宝塔寺拝登、碧師の墓を展す。
朝日山陸軍墓地参拝。
余戸の子規句碑を観る。
『一草庵日記』
鬼子母神堂
へ。
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