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正岡子規


『散策集』

 明治28年9月20日、子規は漱石の 愚陀佛庵 で療養していたが、いつになく体調がよく、この日はじめて散歩に出た。 柳原極堂 が一緒だった。

明治二十八年九月二十日午後
   子規子

今日はいつになく心地よければ折柄來合せたる碌堂を催してはじめて散歩せんとて愚陀佛庵を立ち出づる程秋の風のそゞろに背を吹てあつからず。玉川町より郊外には出でける。見るもの皆心行くさまなり。

杖によりて町を出づれは稲の花

秋高し鳶舞ひしつむ城の上

大寺の施餓鬼過ぎたる芭蕉哉

秋晴れて見かくれぬベき山もなし

秋の山松鬱として常信寺

草の花少しありけば道後なり

高繩や稻の葉末の五里六里

砂土手や山をかざして櫨紅葉

砂土手や西日をうけて蕎麥の花

蜻蛉の御幸寺見下す日和哉

露草や野川の鮒のさゝ濁り

蟲鳴くや花露草の晝の露

肥溜のいくつも並ぶ野菊哉

秋澄みたり魚中に浮て底の影

底見えて魚見えて秋の水深し

飛びはせで川に落ちたる螽(いなご)

蓼短く秋の小川の溢れたり

元山をこえて吹きけり秋の風

五六反叔父がつくりし絲瓜哉

馬の沓換ふるや櫨の紅葉散る

六尺の竹の梢や鵙の聲

土手に取りつきで石手寺の方へは曲りける

野徑(のみち)曲れり十歩の中に秋の山

ほし店の鬼灯(ほおずき)吹くや秋の風

南無大師石手の寺よ稻の花

二の門は二町奥なり稻の花

山門の前の茶店に憩ひて一椀の澁茶に勞れを慰む

駄菓子賣る茶店の門の柿青し

人もなし駄菓子の上の秋の蠅

裏口や出入にさはる稻の花

橋を渡りて寺に謁(もう)づ。こゝは五十一番のお札所なりとかや

見あぐれば塔の高さよ秋の空

秋の山五重の塔に並びけり

通夜堂の前に栗干す日向哉

大師堂の椽端に腰うちかけて息をつけば其側に落ち散りし白紙何ぞと開くに當寺の御鬮(みくじ)二十四番凶とあり。中に「病事は長引也命にはさはりなし」など書きたる自ら我身にひしひしとあたりたるも不思議なり

身の上や御鬮を引けば秋の風

山陰や寺吹き暮るゝ秋の風

寺を出でゝ道後の方に道を取り歸途につく

駒とめて何事問ふそ毛見の人

芙蓉見えてさすがに人の聲ゆかし

にくにくと赤き色なり唐辛子

御竹藪の堀にそふて行く

古濠(ふるぼり)や腐つた水に柳ちる

水草の花まだ白し秋の風

秋の山御幸寺と申し天狗住む

四方に秋の山をめぐらす城下哉

稻の香や野末は暮れて汽車の音

鶏頭の丈(セ)を揃へたる土塀哉

   補

稻の香に人居らずなりぬ避病院

秋風や何堂彼堂弥勒堂

護摩堂にさしこむ秋の日脚哉

明治廿八年九月二十一日午後
   子規子

稍曇りたる空の雨にもならで愛松碌堂梅屋三子に促され病院下を通りぬけ御幸寺山(みきじさん)の麓にて引返し來る。往復途上口占

秋の城山は赤松ばかり哉

牛行くや毘沙門阪の秋の暮

社壇百級秋の空へと登る人

   常樂寺ニ句

狸死に狐留守なり秋の風

松が根になまめき立てる芙蓉哉

箒木の箒にもならず秋暮ぬ

ところところ家がたまりぬ稻の中

稻の花四五人かたりつゝ歩行く

道の邊や荊かくれに野菊咲く

堂崩れて地蔵殘りぬ草の花

道はたに蔓草まとふ木槿哉

叢やきよろりとしたる曼珠沙花

蓼の穂や裸子桶をさげて行く

   秋水ニ句いづれにか定め侍らん

静かさに礫うちけり秋の水

投げこんだ礫沈みぬ秋の水

山本や寺は黄檗杉は秋

畫をかきし僧今あらず寺の秋

秋の水天狗の影やうつるらん

松山の城を載せたり稻むしろ

稻の香の雨ならんとして燕飛ぶ

秋の日の高石懸に落ちにけり

草の花練兵場は荒れにけり

武家町の畠になりぬ秋茄子

人もなし杉谷町の籔の秋



 明治28年10月2日、子規は一人で吟行に出た。中の川を渡って蓮福寺東角の八軒屋を過ぎ、横河原線の沿いに石手川堤に上り、中薬師寺に立ち寄っている。

さらば例の散歩に出かけまほしくて十月二日只ひとり午後より寓居を出で藤野に憩ひ大原にいこひそこより郊外に出でんと中の川を渡り八軒家を過ぎ汽車道に添うふて石手川の土手に上る 道々の句

木槿咲く塀や昔の武家屋敷

朝顔や裏這ひまはる八軒家

大根の二葉に秋の日さしかな

眞宗の伽藍いかめし稲の花



   藥師二句

我見しより久しきひよんの木實哉

寺清水西瓜も見えず秋老いぬ



 明治28年10月6日、快晴だし日曜日だったので、子規は同居の漱石と道後へ吟行。

明治廿年九月六
   子規子



今日は日曜なり 天氣は快晴なり 病氣は輕快なり 遊志勃然漱石と共に道後に遊ぶ 三層樓中天に聳えて來浴の旅人ひきもきらず

   温泉樓上眺望

柿の木にとりまかれたる温泉哉

松枝町を過ぎて 寶嚴寺 に謁づ こゝは一遍上人御誕生の靈地とかや 古往今來當地出身の第一の豪傑なり 妓廊門前の楊柳往來の人をも招かで一遍上人御誕生地の古碑にしだれかゝりたるもあはれに覺えて

古塚や戀のさめたる柳散る

   寶嚴寺の山門に腰うちかけて

色里や十歩はなれて秋の風



 明治28年(1895年)10月7日、子規は人力車で今出(いまず)の村上霽月を訪ねた。

明治廿八年十月七日
   子規子

今出の霽月一日我をおとづれて來れといふ。われ行かんと約す。期に至れば連日霖雨濛々 我亦褥(しとね)に臥す。爾後十餘日霽月書を以て頻りに我を招く。今日七日は天氣快晴心地ひろくすがすがしければ俄かに思ひ立ちて人車をやとひ今出へと出で立つ。道に一宿を正宗寺に訪ふ 同伴を欲する也。一宿故ありて行かず

朝寒やたのもとひゞく内玄関



かねて叔父君のいまそかりし時余戸に住みたまひしかば我をさなき頃は常に行きかひし道なり 御旅所の松、鬼子母神、保免の宮、土井田の社など皆昔のおもかげをかへずそゞろなつかしくて

鳩麦や昔通ひし叔父が家

をさなき時の戯れも思ひ出されたり 竹の宮の手引松は今猶殘りて二十年の昔にくらべて太りたる體も見えず

行く秋や手を引きあひし松二木

余戸も過ぎて道は一直線に長し

澁柿の實勝になりて肌寒し

村一つ澁柿勝に見ゆるかな

山盡きて稻の葉末の白帆かな

霽月の村居に至る。宮に隣り松林を負ひて倉戸前いかめしき住居也

粟の穂に鷄飼ふや一構



鵙木啼けば雀和するや蔵の上

萩あれて百舌啼く松の梢かな

庭前の築山に上れば遥かに海を望むべし。歌俳諧の話に餘念なく午も過ぎて共に散歩せんとて立ち出づ

ここは今出鹿摺(いまずかすり)て鹿摺を織り出す処也

花木槿家ある限り機はたの音

汐風や痩せて花なき木槿垣

海邊に彳めば興居嶋右に聳え由利嶋正面にあたる。けふは伊予の御崎も見えずとか

見ゆるべき御鼻も霧の十八里

夕榮や鰯の網に人だかり

それより海岸のそふて南に行き東折れ今出村を一周して歸る

鶺鴒や波うちかけし岩の上

新田や潮にさしあふ落し水

薯蕷(じょよ)積んで中島船の來りけり

濱萩に隱れて低し蜑(あま)が家

俄かに風吹き起る

方十町砂糖木畠の野分哉<

稻の穂の嵐になり夕かな

牛蒡肥えて鎭守の祭り近つきぬ

賤か家に花白粉の赤かりき

山城に殘る夕日や稻の花

藪寺の釣鐘もなし秋の風

夕暮に今出を出で人車を驅りて森某を余戸に訪ふ。柱かくしに題せよといはれて

籾干すや鷄遊ぶ門のうち

席上一詩あり

鷄犬孤村富   松菊三逕間
南窓捲書起   門外有青山

直ちに其家を辭す

白萩や水にちぎれし枝のさき

車上頻りに考ふる處あり。知らず何事ぞ

行く秋や我に神なし仏なし

點燈寓居に歸る

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