このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
道後温泉
〜碑巡り〜
大街道から伊予鉄道城南線で道後温泉へ。
道後温泉本館
朝早いので、人は少ない。
道後温泉本館から道後温泉の碑巡りをする。
子規の句碑
①
旅人のうた登り行く若葉か南
『寒山落木』
巻一(明治二十五年 夏)に収録の句。
子規の句碑②
湯の山や炭売りかへる宵月夜
『寒山落木』巻一(明治二十五年 終りの冬)に所収の句。
子規の句碑③
十月の海は凪いたり蜜柑船
明治28年(1895年)10月19日、子規は
三津浜
を出航。最後の上京をした。
『寒山落木』巻四(明治二十八年 冬)に所収の句。
子規の句碑④
漱石が来て虚子が来て大三十日
『寒山落木』巻四(明治二十八年 冬)に所収の句。
漱石と子規との交友は密であつたし、漱石と私との交友は密であつたのであるが、子規・漱石・虚子と三人が出逢つたことは極めて稀であつた。松山に子規が大學生であつた時分に歸省した、其時同じく大學の學生であつた漱石が訪ねて來た。其時私も行き合わせて三人で出逢つた事が一度、それから此の時、即ち明治二十八年の大晦日に
子規の根岸の家
で漱石と私と一緒に出逢つたことが一つ。その他にはもう出逢つた記憶はないのである。
高浜虚子『子規句解』
山頭火の句碑
ずんぶり湯の中の顔と顔笑ふ
この句の碑は
「俳句の道」
にもある。
大和屋本店の足湯前に子規の歌碑があった。
足なへの病いゆとふ伊豫の湯に
飛びても行かな鷺にあらませば
明治31年(1898年)8月9日、新聞「日本」に載る。
『竹の里歌』の明治31年(1898年)「故郷を憧ふ」に収録。
この歌の碑は
子規記念博物館
の前にもある。
漱石の句碑
半鐘と並んで高き冬木哉
明治29年(1896年)1月3日、
子規庵
の句会で詠まれた句。
この句の碑は
子規記念博物館
の前にもある。
松山城
へ。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください