このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

龍穏寺〜「十六日桜を詠む」〜
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松山市御幸町に龍穏寺という寺がある。

「伊予古跡孝子十六日桜」の碑があった。


 伊豫國温泉郡山越村に「十六日櫻」と云ふ大層名高い櫻の樹がある。

 その名の由来は毎年陰暦の正月十六日——しかもその日だけ花が咲くからである。それで櫻の元來の性質から云へば、春を待つて花咲くのであるが、——この櫻の開花は大寒の時節である。

 しかし十六日櫻は自分のものではなかつた生命で花をつける。その樹には或人の魂が潜んでゐる。その人は伊豫の武士であつた。樹はその人の庭にあつて、時が來れば——即ち三月の終りか四月の始め頃には、いつも咲いた。

      (中 略)

 遂に老人によい思ひつきが浮んだ。枯れかゝつて居る樹の助かる方法を思ひ出した。(それは一月十六日であつた)獨りで庭へ出て凋れた樹の前に平伏して、云つた。「どうかお願ひだから、もう一度花を咲かして貰ひたい——自分はお前の身代りになるから」(即ち神々のなさけによつて、人は外の人、或は動物或は樹木のためにでも、實際生命をすてる事が出來る——そして身代りに立つ事ができるものと信じられて居る)それからその樹の下に白布といくつかの敷物をしいて、その敷物の上で武士の式通りの切腹を行つた。それでこの人の魂はその樹に移つて、その時刻に花を咲かせた。

 それで一月十六日、雪の時節に、毎年今もなほ花が咲く。

小泉八雲「十六日櫻」

龍穏寺に十六日桜の古木があったが、戦災で焼け枯死したそうだ。

龍隠寺本堂


単立寺院 である。

昭和15年(1940年)2月23日、 種田山頭火 は龍穏寺へ参詣する。

 うち連れて、ついそこの龍穏寺へ参詣する、なかなかの人出で、露店もたくさん出てゐる、私は和蕾君に、処女会の桜餅を買て貰つた、うまかつた、春の匂ひがする!

有名な孝子桜、又の名十六日桜は親木が朽ちて若木がはかなくもたつた一輪の花をつけてゐた。

   ほんに一輪咲いて一輪

『松山日記』

本堂の前に「十六日桜を詠む」と題して和歌2首と俳句6句が刻まれていた。


静かなる山下影に庵つくり

   雪粧わせて見る桜かな
   西行法師

西に行き法師もいかに初桜

   しばしとてこそ杖とまりけり
  一遍上人

人の気を花に乗せゆく桜かな
   松尾芭蕉

又たくひ世は梅さかり此の桜
  小林一茶

嘘のよな十六日桜咲きにけり
   正岡子規

一枝に一輪十六日桜かな
   河東碧梧桐

花に来て寺の田楽よばれけり
   柳原極堂

咲いて一りんほんに一りん
  種田山頭火

 正岡子規の句は 『寒山落木 巻五』 (明治二十九年 春)に収録。「松山十六日櫻」とある。

 松山の北郊山越の龍穏寺という寺に舊暦正月の十六日には必ず咲くといふ櫻がある。それは昔一人の孝子があつて、その父が死ぬる前に櫻の花の咲くのを見て死にたいと云つた。それを孝子が佛に祈願して早くも正月の十六日に花が咲いて父の生前に間に合つた。それから正月の十六日には必ず咲く、といふ言ひ習はしである。これを孝子櫻ともいうてをる。別に珍らしいものでも無いのか鎌倉の私の宅の庭前にもそれに似た櫻がある。寒櫻の一種でもあらうか。

高浜虚子『子規句解』

 柳原極堂の句は 『草雲雀』 (「鶏頭」より)に収録。

 種田山頭火の句は「『草木塔』以後」に収録。「龍隠寺境内の孝子桜」とある。他は出典不明。

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