このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2015年
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そよ風ホール
〜湖白庵諸九尼〜
久留米市田主丸町田主丸に田主丸複合文化施設「そよ風ホール」がある。
「そよ風ホール」図書館の庭に諸九尼の句碑があった。
いつとなくほつれし笠や秋の風
碑 陰
湖白庵諸九尼
芭蕉門の俳諧に生涯をかけ、近世随一と称される女流俳人湖白庵
諸九尼
(通称なみ)は、正徳4年(1714年)唐島村庄屋永松家に生まれた。
元文6年(1741年)、塩足村の俳人市山のもとに滞在中の湖白(芭蕉十哲・
志太野坡
の高弟)の許に入門する。
なみの俳才は程なく湖白・市山に認められるが、周囲の羨望は汚名へと転じた。その忍苦の中、なみは生涯を蕉門の伝播にかける決心をし、湖白を追い故郷を離れた。
上京した2人は俳諧に専念し、先師の顕彰追善に精進するが、湖白はその労苦により死去、諸九は剃髪して蘇天と号する。
その後、諸九尼は
明和4年(1767年)、京都岡崎に
湖白庵
を結ぶ。
明和8年(1771年)、芭蕉の足跡を辿り、紀行文
「秋風の記」
を著す。
天明元年(1781年)、直方にてその生涯を終えた
碑表の句は、芭蕉追慕の旅の折り、
白河の関
にて詠まれたものである。
平成16年3月31日 田主丸町教育委員会
平成17年(2005年)2月5日、田主丸町は久留米市へ編入合併された。
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