このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2005年

伊香保温泉〜万葉の歌碑〜
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水沢観音 から県道33号渋川松井田線に戻り、伊香保温泉へ。


 今日は 「千明仁泉亭」 のお風呂に入ろうと思うが、「千明仁泉亭」の日帰り入浴は12時から、ただし露天風呂は14時から。

露天風呂に入れる時間にはまだ早い。

「千明仁泉亭」の先の路地を入ると、句碑があった。


引鶴の天地を引きてゆきにけり  照敏

 平井照敏は1931年生まれ、詩人として出発。1960年頃から加藤楸邨に師事、『寒雷』編集長を経て、1974年、主宰誌『槇』を創刊。

 引鶴(ひきづる)は春の季語、3月上旬頃、北へ引き揚げて帰る鶴のこと。雄大な句である。

伊香保ロープウェイ「不如帰」駅前に「文学の小径」がある。

万葉の歌碑


伊香保ろ乃そひの榛原吾可衣尓つき寄らし毛よ非多と思遍者

萬葉集 巻14東歌3435番

これでは読めない。

解説にはふりがなが付いていた。

伊香保ろ乃(の)そひの榛原(はりはら)吾可衣尓(わがきぬに)

   つき寄らし毛(も)よ非多(ひた)へと思遍者(へば)

万葉仮名でも書いてあった。

伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敞登於毛敞婆

意味も書いてある。

 伊香保の山ぞいにある榛原(はりはら)の榛(はり)の実は、私の着物にとても染めつきが良い(相性が良い)、これは私の着物が一重物だからと詠んでいるのであるが、同時に私が恋しい人を想うひたむきな気持ちと相性の良さの2つをかけて詠んだ歌。

万葉の歌碑に解説があるのは有り難い。

女郎花(おみなえし)が咲いている。


2月に来た時 は万葉の歌碑も雪に埋もれていた。

山並みが見える。


 左から十二ヶ岳(標高1,201m)、中ノ岳(標高1,188m)、小野子山(標高1,208m)。

 昭和6年(1931年)11月7日、 斎藤茂吉 は土屋文明と伊香保を訪れている。

たえまなく冬の白雲のながらふる子持山のべゆふぐれむとす

伊香保呂をおろして吹ける風をいたみ庭のくぼみにもみぢば散るも

『石泉』

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