このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

織間本陣跡〜小林一茶〜
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伊勢崎市境の国道354号沿いに旧「とりせん」跡の駐車場がある。


国道354号は 例幣使街道 である。

旧「とりせん」跡の駐車場に「織間本陣跡」の碑があった。

「織間本陣跡」の碑


織間本陣跡

 旧例幣使街道、境宿織間本陣は寛文2年(1662年)に伊勢崎藩士鶴田弥太郎氏の家を当地に移築したもので、わら葺平屋建ての主家と片袖付門構えは古い建築様式をそのまま残し、旧本陣として境町の町指定史跡であった。本陣跡の建物は門をくぐり大玄関を上ると9個の室を配し、広い土間(ダイドコロ)や貴賓の上座の間を有した。

 宝暦13年(1763年)、 建部凉袋 は初めて織間本家六代目の只聴 を訪れる。只聴の代から境宿本陣を勤めた。

 分家の織間由水は凉袋に師事、ついで栗庵似鳩の社中に入った。

 寛政3年(1791年)4月12日、一茶は 熊谷 から 中瀬 のわたりを越え、境町へ。

 熊谷を北に入て、東方村より中瀬のわたりを越へ(え)、境町の雪車といふ人を訪ふに、京へ行ぬとあれば、いせ崎の渡りをこす。日は薄々暮て、雨はしとしと降る。

     時鳥我身ばかりに降雨か

 此辺にては、今降もしぐれといふ。

     人に見し時雨をけふはあひにけり


 「雪車」は織間由水の子、織間専車。 栗庵似鳩 の門人。似鳩の紹介で 高桑蘭更 にも師事。

上州堺町
栗庵似鳩 門 折間安左衛門 雪車


寛政7年(1791年)2月、専車没。

寛政12年(1800年)6月21日、由水没。

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