このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
長谷川馬光
貞享4年(1687年)、馬光生まれる。父は津軽弘前藩の藩医であり、本所に屋敷があった。後に御家人長谷川直隆の養子になる。
山口素堂
の弟子。初号素丸。別号泥山。二世其日庵。夕可庵。
かまくらにて
目には青葉山郭公はつ松魚 素堂
『江戸新道』(延宝6年)
享保10年(1725年)、
中川宗瑞
、松本珪林、大場蓼和、
佐久間柳居
とともに「五色墨」の運動を起こす。
享保16年(1731年)、俳諧撰集『五色墨』刊。
寛保3年(1743年)、芭蕉の五十回忌で
桃青寺
に芭蕉堂を建立し、芭蕉像と素堂像を安置。
桃青寺
延享5年(1748年)、夕可庵を営む。
寛延3年(1750年)8月12日、馬光が中心となり
関口芭蕉庵
に「さみだれ塚」を建立。
さみだれ塚
芭蕉の短冊「
五月雨に隠れぬものや瀬田の橋
」を埋めて墓とした。
寛延4年(1751年)、広岡宗瑞は馬光 や吏登の後見で二世宗瑞を継承。
寛延4年(1751年)5月1日、65歳で没。
振かへる谷の戸もなし郭公
宝暦7年(1757年)、馬光の七回忌追善集
『ふるふすま』
(竹阿編)刊。
桃青寺
で馬光忌が営まれていたようである。
先例之ごとく、今年、桃青寺 に馬光忌を執行して
墓にけふそゝぐは元の清水哉
『素丸發句集』
鋸山の
日本寺
に馬光の句碑がある。
引きおろす鋸山の霞かな
馬光の句
やめは降り人にあかれぬ時雨哉
『二笈集』
荒海のかさりみせけり雲の峰
『白兎余稿
下
』
長き日や同じ事して礒の波
『おもかげ集』
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