このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 書

『菊の塵』(園女編)



宝永6年(1709年)、 園女 自序。武陽山人 素堂 跋。

壬申八月、神風やいせのふる郷をたちて、ふるき宮古のこゝにきたりぬ。その年も浪をいとあらたまの春をむかへて

   難波女に何からとはむ事はじめ

と賀してあそびき。その後あまたの句みきゝたるが中に、これかれ拾ひ求めて、さやかくやうらの月の月もやせましなど、いひおりける折から、芭蕉の翁たづねきまして

   白菊の目にたてゝみる塵もなし

と吟し出されしによりて、六々やがて巻をなしぬ、いくほどもなくて、此翁世をさりましゝかば、それもはやかぎりの序となれりける。

おもふにわが此道に入し初めは元禄二年の冬なり。あけの年の如月、かの翁とこゝの人曾良などひきゐきたらせしに、しかじかとつげりければ、翁よろこびて、いかならむことをもつゞりてよと、おせりたるに。

   花まてば時雨て殘れ檜笠

といひ出ければ、やがて脇の句附てたうべて、さらに

   のうらんの奧物ゆかし北の梅

といふ發句をさへきこへられしぞかし。



白菊の眼に立て見る塵もなし
   芭蕉翁

 紅葉に水を流すあさ月
   その女



はつれはつれ粟にも似ざるすゝきかな
   その女

朝露のうらにと萩の使かな
   同



伊勢小町は見ぬ世の歌人、今の世のいせの國より園といへる女の、誹諧をわけて濱荻の筆遠き浪速の里にこゝろざしての、我に嬉しく、二見箱硯の海にうめて、氣のうつり行事艸をかけるに、おもふまゝにぞうごきぬ。過し光貞の妻、かい原のすてなど、花にしほみ、紅葉はちり世に詠の絶にしに、名をいふ月の秋に此人此ところに、しばしの舎りをなし、神風の住吉の春も久しかれとぞことぶきける。

濱荻や當風こもる女文字
   西鶴



   貞徳翁の姿を讃して

おさな名やしらぬ翁の丸頭巾
   はせを



    寶晋齋 のもとに馬おりし侍りて

霜やけも不二の光の心まゝ
   その女

 有やなしやの蕪をふところ
   其角

にの重い水を色紙に廻らせて
   秋色

 鼠も竹を渡る閑に
    清流



  追加

ある日反古とり出して、いついつの懐帋なとなつかしき中に、この神路山の句ひとつふたつを得たりけり。より出ひて又句々ども作りてはしに加え侍る。


   神路山

何の木の花とはしらず匂ひ哉
   はせを





難波津の園女、俳諧の集をゑらびて、其尾に予が詞を求らる。我いまだ其人を見ず。其集のおもむきをしらずといへ共、ふるき世の共芭蕉翁に聞て半面をしるに似たり。かつ彼翁草の枝を巻のはじめにかゝけで、さらぬ草々をまじへ侍りて、菊の名を呼なるべし。

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