このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
加舎白雄
加舎白雄ゆかりの
加舎家跡
上田城跡公園入口
から二の丸通りを行くと、北大手町交差点に「
加舎白雄ゆかりの
加舎家跡」があった。
加舎白雄ゆかりの
加舎家跡
ふるさとや梅に柳にはなしあり
明和4年(1767年)、兄を訪れて上田に来た時に詠んだ句のようだ。
としありてこのかみの家にあそぶ。
ふるさとや梅に柳にはなしあり
説明は何も書かれていない。
上田市教育委員会文化振興課に問い合わせてみた。
俳人「加舎白雄」は元文3年(1738年)、上田藩の加舎吉亨の二男として江戸深川に生まれました。父と兄は上田藩士でしたが江戸詰が長く、白雄19歳のおり、初めて上田へ移住しました。「
加舎白雄ゆかりの
加舎家跡」の碑があった場所に屋敷があったと考えられ、現在、碑が建てられているとのことです。
上田市教育委員会文化振興課
加舎白雄ゆかりの
加舎家跡
平成2年3月
加舎白雄二百回忌実行委員會建
天明4年(1784年)3月、
大輪寺
で兄吉重の葬儀があり、白雄 は上田へ。
天明5年(1785年)1月、白雄は兄吉重一周忌のため、
碓氷峠
を越えて上田へ。
このかミなくなりて既一周
(すでにひとめぐり)
。せめてもの老がつえもどかしくも碓氷嶺を越つゝ猶子里彦が家に芒鞋
(わらじ)
をときてこの日の法会にあふ。
月に日にセまる涙かはるの雨
「兄一周忌追悼」
「猶子里彦」は兄吉重の長男。里彦は俳号で、忠兵衛吉親。
里彦の句
かへるさや鞍壷にたそ桜ばな
『春秋稿』(第四篇)
菊の香に隠者かぞへる市中哉
『春秋稿』(第五編)
寛政3年(1791年)9月13日、加舎白雄没。享年54歳。
品川区鮫洲の
海晏寺
に加舎白雄の墓がある
加舎白雄
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