このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

望月宋屋

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京都の人。早野巴人の門人。別号富鈴。机墨翁。

 元文元年(1736年)、讃岐に遊ぶ。

 寛保2年(1742年)6月6日、巴人は夜半亭にて病没。

   壬戌の六月六日、宋阿老師の訃を
   東武より告來りしに驚きて

鉾鬮もおくれ先だつ南無佛


 寛保3年(1843年)、巴人一周忌追善集『西の奥』刊行。

 延享2年(1745年)9月16日、京を出る。10月10日、江戸に着いて巴人の墓に詣で「奥の細道」を辿る旅に出る。10月13日、結城に 蕪村 を訪ねたが不在。

   奥羽行脚首途の吟

夜となく月に喰入れ杖の土


 数日仙台に滞在。 陸奥国分寺 に自ら自筆の句碑を建立。



極楽や人のねがひの花の影

右が宋屋の句碑。

 延享3年(1746年)10月3日、宋屋は象潟を訪れた。

一とせ余り奥羽に遊行して、汐越の名湖に杖を曳、工藤氏に旅を恵まれ、金氏の旧家の風雅に誘はれ、九十九森八十八島を舟漕つれて、美景の八ツ、往昔の旅客、弁を揮ひ、花言を述尽し、今更言葉はなかりき。折もこそ神な月、風雨長途に労れ、唯へたへた書終、紙上を汚すも、島々の神仏ゆるさしめ

象潟や十月三日筆に湯気
   
花洛行脚
机墨翁


 延享3年(1746年)10月28日、宋屋は奥羽行脚の帰途、再び結城に蕪村を訪ねたが不在。

野州烏山滝田天満宮ニ往昔亡師が奉納有。忝く爰に

 朝日山  鶯の氷らぬこゑやあさ日やま   東武 其角

『杖の土』

 宝暦5年(1755年)、吟行集『杖の土』刊。

明和3年(1766年)3月12日、79歳で没。

西へ行彼岸さくらや道案内

明和6年(1769年)5月、遺句集 『瓢箪集』 (嘯山、賈友編)刊。

宋屋の句

しとふへし桜樒に花の声


笠嶋ハ笠脱打て不如帰


よし野出て虻のはなれぬ袂かな


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