このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
常世田長翠ゆかりの地
〜日和山公園〜
人の柳うらやましくもなりにけり
本間美術館
から日和山公園へ。
酒田の日和山公園に
芭蕉の句碑
や
牧水の歌碑
を始め、数多くの句碑や歌碑がある。
寛政12年(1800年)、長翠は奥州行脚に旅立ち酒田を訪れ、さらに秋田の
五明
を訪問した。
翌年、再び酒田にやって来て、その足で秋田の五明を訪ねた。
享和2年(1802年)、小蓑庵を
中村碓嶺
に譲り、
浄徳寺
門前に胡床庵を営み酒田に居住。
酒田の舎
(やどり)
に二とせの松竹を潜て
鷄がねや老にはゆるす春もあれ
秋日斜に、山は雲に隠れ、人は家に帰る頃
飛鴈の空についたり日和山
『あなうれし』
(碓嶺編)
文化10年(1813年)8月12日、没。
常世田長翠の句碑もあった。
人の柳うらやましくもなりにけり 長翠
文政元年(1818年)、春秋庵連中の建立。東北俳壇四天王の一人、下総出身の俳人常世田長翠 が晩年酒田で過して詠んだ句。書は仙台大年寺住職南山古梁。
長翠没後5年目のことである。
天保4年(1833年)、碓嶺は日和山で長翠の句碑を見ている。
亡師が日和山の文塚 にて
人のゆくなりにもゆかで墓参
同
『をばながさ』
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