このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜北陸〜


〜芭蕉の辻〜

犀川大橋 から南大通りを行く。


片町交差点の北國銀行前に「芭蕉の辻」の碑があった。


元禄二年初秋蕉翁奥の細道途次遺蹟

昭和53年(1978年)3月、金沢市芭蕉遺蹟保存会建立。

元禄2年(1689年)7月15日、芭蕉は 高岡 を出立。 倶利伽羅峠 を越えて、金沢に入る。

 卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。爰に大坂よりかよふ商人何処と云者有。それが旅宿をともにす。 一笑 と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、

塚も動け我泣声は秋の風

   ある草庵にいざなはれて

秋涼し手毎にむけや瓜茄子

   途中吟

あかあかと日は難面もあきの風

『奥の細道』

 芭蕉は7月15日から24日まで金沢に滞在。滞在中のほとんどは、犀川大橋の近くにあった「川原町宮竹や喜左衛門方」に宿を取った、

一 十五日 快晴。高岡ヲ立 。 埴生八幡 ヲ拝ス。源氏山、卯ノ花山也。クリカラヲ見テ、未ノ中刻、金沢ニ着。

京や吉兵衛ニ宿かり、竹雀・一笑へ通ズ、艮(即)刻、竹雀・牧童同道ニテ来テ談。一笑、去十二月六日死去ノ由。

一 廿四日 快晴。金沢ヲ立。小春・牧童・乙州、町ハヅレ迄送ル。雲口・一泉・徳子等、野々市迄送ル。餅・酒等持参。申ノ上尅、小松ニ着。竹意同道故、近江やト云ニ宿ス。 北枝之。夜中、雨降ル。

『随行日記』

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