このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2007年
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鎌倉文学館
〜碑巡り〜
江ノ電由比ヶ浜駅から文学館入口を越えて
鎌倉文学館
(HP)へ。
『万葉集』の和歌が書いてあった。
鎌倉の見越の崎の岩崩の君が悔ゆべき心は持たじ
『万葉集』
(第14卷)
招鶴洞を抜ける。
源実朝の和歌が書いてあった。
大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも
『金槐和歌集』
小林一茶は実朝を句に詠んでいる。
かまくらや実朝どのゝ天つ鴈
『七番日記』(文化7年8月)
かまくらや実朝どのゝ千代椿
『七番日記』(文化10年2月)
正岡子規
も実朝を詠んでいる。
正岡子規の短歌
人丸ののちの歌よみ誰かあらん征夷大将軍みなもとの実朝
松尾芭蕉の俳句
鎌倉は生きて出にけん初松魚
『芭蕉翁真蹟集』
元禄5年(1692年)、芭蕉49歳の時の句。
天野桃隣
『陸奥鵆』
には「
鎌倉をいきて出でけむ初鰹
」とある。
初鰹は、相模湾で捕獲されたものが鎌倉海岸から
戸塚宿
を通って江戸へ運ばれたそうだ。
かまくらにて
目には青葉山郭公はつ松魚
素堂
『江戸新道』(延宝6年)
明和8年(1771年)4月29日、諸九尼は鎌倉で初鰹の句を詠んでいる。
廿六日 鎌倉へ入らんとて、七里が浜、由井
(比)
が浜などいふをたどるに、澳
(おき)
の方より立来る波の色の、墨を流したらんやうに見えけるは、いかにと問へ
バ
、鰹といふ魚のむれ来る也といへば、
白なミのうねうね黒し初かつほ
(を)
『秋風記』
吉井勇の短歌
夏は来ぬ相模の海の南風にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ
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