このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑

『奥の細道』


あらたうと青葉若葉の日の光

川治温泉 からいつものように 「名水の郷日光おかき工房」 に立ち寄る。



国道120号で安良沢(あらさわ)小学校へ。

安良沢小学校 には芭蕉の句碑がある。


志はらくは滝に籠るや夏(げ)の初

安良沢小学校のプールは半ば凍っていた。

安良沢小学校の先に大日堂跡に下りていく道がある。

大日堂跡に芭蕉の句碑がある。


あらたうと青葉若葉の日の光

 卯月朔日、御山に詣拝す。往昔此御山を二荒山と書しを、空海大師開基の時、日光と改給ふ。千歳未来をさとり給ふにや。今此御光一天にかゝやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。猶憚多くて筆をさし置ぬ。あらたうと青葉若葉の日の光

 ここに古くから句碑があったが、明治35年(1902年)9月の大洪水で流失してしまったので、もとの石刷りを写して再建したと書かれている。

つくつく詠つくつく思ふに

   あら尊うと青葉若葉の日の光

   たらぬ花たらぬ鳥なし宮所

            蓮花石大日堂 碑あり
            鉢石觀音寺ニ碑あり
            江都兀雨建


この碑が再建されたのは、流出して7年目の明治42年(1909年)10月。

山口誓子 は大日堂跡の句碑を訪ねている。

 句碑は、崖の下で、大谷川に向いているが、昔、その川に沿うて裏見の滝へ行く道があった。そこは通路になっていたのだ。大日堂がそこにあった。

   あらたふと青葉若葉の日の光り

 撫でて見ると、つるつるの石、大谷川に転っているような石だ。日が当って字ははっきり読める。朱を入れたあとが点々と残っている。

   (中 略)

 句碑の建立、明治四十二年。二代目の句碑だ。

『句碑をたずねて』 (奥の細道)

往古はこのあたりは菩提(ぼだい)ヶ原と称し、大日如来の堂があった。

 慶安2年(1649年)、大楽院の恵海がこれを再建、美しい池のある庭園の中に堂があり、大日如来の石像を安置されていた。

日光大日堂眞景之圖


明治9年(1876年)には明治天皇が御巡幸された。

 明治35年(1902年)9月の大洪水で総て流され、現在は堂跡にいくつかの礎石を残すのみとなった。

大日堂跡から見る大谷(だいや)川。


大谷川は 含満ヶ淵(がんまんがふち) を流れる。

大谷川から見る男体山


左下が安良沢小学校。

 元禄2年(1689年)4月1日(新暦5月19日)昼頃、芭蕉は日光へ着き、2時半頃 日光東照宮 を参拝する。

   一 四月朔日

 前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日雲、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺の書、養源院ヘ届。大楽院ヘ使僧ヲ被添、折節大楽院客有之。未ノ下尅迄待テ御宮拝見。

『曽良随行日記』

 明和6年(1769年)4月、蝶羅は奥羽行脚の途上大日堂を訪れ句を詠んでいる。

   大日堂

池の面に夏花の外ハ塵もなし
   仝


芭蕉の句碑 『奥の細道』 に戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください