このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2015年
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真如堂
〜去来の句碑〜
白川通りの「錦林車庫前」下車。
真如堂
(HP)に向う。
坂道の途中に踊子草が咲いていた。
踊子草は珍しいが、雑草なのである。
真如堂
正しくは真正極楽寺という
天台宗
の寺である。
平安中期の永観2年(984年)、比叡山延暦寺の僧・戒算上人が延暦寺の常行堂にあった阿弥陀如来像を東三条院藤原詮子(一条天皇の母藤原道長の姉)の離宮に移し、安置したのが始まりとされる。当初、この場所の東北に位置する元真如堂(換骨堂)の地にあったが、応仁の乱で荒廃した後、各地を転々とし、元禄6年(1693年)に現在地への再建が開始された。
本堂(重要文化財)は江戸時代の享保2年(1717年)の上棟で、京都市内の天台宗の寺院の本堂として最大規模を誇り、内部には、本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)が祀られている。本尊は「うなずきの弥陀」とも呼ばれ、毎年11月15日にのみ開帳される。
寺宝として、仏師運慶の発願によって書写された法華経6卷(国宝)をはじめ、応仁の乱などを描いた室町時代の真如堂縁起(重要文化財)、毎年3月に公開される大涅槃図など、多数を蔵する。
秋には、東山を借景にした「涅槃の庭」や三重塔、梵鐘に色付いたもみじが映え、紅葉の名所としても有名である。
京都市
茶所の仏間に一光三尊の善光寺如来の御分身が祀られているそうだ。
茶所の脇に向井去来の句碑があった。
涼しさの野山に満つる念仏かな
出典は
『去来抄』
。
『続猿蓑』
には「
涼しくも
」とある。
向井去来
は元禄7年(1694年)に真如堂で行われた信濃・善光寺如来の出開帳(出張御開帳)法要に参列しました。境内は有り難い如来を一目拝みたいと人々で溢れ、お念仏の響きに満ちていたことでしょう。この句は、その時の様子を詠じたものです。
出開帳は
善光寺
本堂再建の資金勧募のために行われましたが、真如堂も、前年より、この地へ復帰再建を進めている最中でした。
信濃・善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨・清涼寺の釈迦如来、そして真如堂の阿弥陀如来は「日本三如来」と呼ばれています。
昭和28年(1953年)9月、建立。鈴鹿野風呂筆。
昭和40年(1965年)6月、山口誓子は真如堂に去来の句碑見に行った。
法然院は白川通を距てて真如堂の山に対している。真如堂には向井家の墓地があって、そのゆかりから去来の句碑が立っている。
西面する本堂のずっと手前左に三重塔と相対して立っている。
自然石を掘りくぼめて
涼しさの野山に満つる念仏かな
昭和二十八年の建立。野風呂の書。例によって堂々たる字だ。
『句碑をたずねて』
(京都)
一般に「日本三如来」は真如堂の阿弥陀如来ではなく、京都下京区因幡堂(平等寺)の薬師如来のようである。
三重塔
文化14年(1817年)、再建。
新緑が輝いていた。
真如堂の塔頭に
覚円院
がある。
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