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私の旅日記2010年

旧豊宮崎文庫〜「木槿塚」〜
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伊勢市岡本に「旧豊宮崎文庫」がある。


旧豊宮崎文庫


国指定史跡 旧豊宮崎文庫

 この文庫は、内宮の林崎文庫とともにわが国における図書館史上に異彩を放つ施設である。

 慶安元年(1648年)、外宮権弥宜・出口延佳の首唱により山田三方等の協力の下に創設された。寛文元年(1661年)、山田奉行八木伹馬守宗直は幕府から永代修繕費の寄進を受けた。

 以来、外宮祠官子弟の修学道場として発達し、毎月一定日に神典等の講義があった。時に大塩平八郎等多くの碩学の来講や書籍の奉納もあり、充実した施設となった。

 明治元年(1868年)、この文庫は廃止され、同11年には火災により講堂が焼失したが、厄災を免れた2万余冊の書籍類は、同44年に神宮へ献納された。

 境内のお屋根桜(市指定天然記念物)は、古くから伊勢市の春に彩りを添えてきた。

伊勢市教育委員会

元禄5年(1692年)5月13日、貝原益軒は宮崎文庫を訪れている。

あるじのおしへにて、あないの人を先だて、宮崎の文庫にいたる。宮崎とは外宮のうしろ、岩戸のあんなる山のつゞきの東の出崎にて、其あたりを宮崎と云。文庫は四十年前に創立す。此二十年前、おほやけより此文庫に年毎に米弐拾石をよせ給ふ、今に至りてたえず。
『壬申紀行』

旧豊宮崎文庫に「木槿塚」があった。


みちのへのむくけは馬にくはれけり

出典は 『野ざらし紀行』

貞享元年(1684年)秋、大井川を越えて詠まれた句。

 宝暦4年(1754年)10月、神風館五世温故が雁路・和鈴等の協力を得て、神風館四世の世木曽北秘蔵の「木槿」の句真筆を埋め、宇治にある西行谷に建立。

 宝暦7年(1757年)、 横田柳几 は西行谷の木槿塚を見ている。

   いせの西行谷芭蕉翁槿塚にて

長き日や凋まぬ石の木槿塚


『諸国翁墳記』 に「木槿塚 勢州宇治西行谷アリ 麦林下連中建」とある。

一時行方不明であったが、豊宮崎文庫に移設された。

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