このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2012年
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野草園
〜郷土文芸苑〜
仙台市太白区茂ヶ崎に野草園がある。
9月初旬で、女郎花くらいしか花は咲いていなかった。
野草園の奥に郷土文芸苑がある。
郷土が生んだ詩人や歌人などの“詩歌と植物”。芭蕉が『おくの細道』で詠んだ「草木の句と植物」など、郷土の文芸と植物の区画です。
斎藤茂吉
朝がれひ君とむかひてみちのくの山の蕨を食へばたのしも
君とは阿部次郎のこと。茂吉が東北大での講義のため来仙。阿部次郎宅で1泊の朝の歌である。
昭和3年(1928年)5月18日、
斎藤茂吉
は東京を立って、19日、仙台着、阿部次郎と会い、松島を見る。20日東北帝国大学で講演。
仙臺
みちのくに來しとおもへば樂しかりこよひしづかに吾はねむらむ
阿部次郎教授宅
さ夜ふけと更けわたるころ海草のうかべる風呂にあたたまりけり
朝がれひ君とむかひてみちのくの山の蕨を食へばたのしも
『ともしび』
那須野
かさねとは八重撫子の名なるべし
曽良
朝草刈りのお百姓がかしてくれた馬のあとに、2人の子供がついてくる。その小娘に名をきくと、“かさね”という…。
白河
卯の花をかざしに関の晴着かな
曽良
いよいよみちのく入り、白河の関を昔の人は、身だしなみを整えて越えたという。芭蕉たちも、道端に咲く白いウツギの花を髪に挿し、これを晴着としてこの関を越えた。
須賀川
世の人の見付けぬ花や軒の栗
目立たない栗の花が、軒端に咲いている。
庵の主人も世にかくれて、閑かに住んでいるのだろう。ゆかしいことよ。
笠島
笠島はいづこ五月のぬかり道
実方中将の塚を村人にたずねると、「右手の山ぎわの里を箕輪・笠島といい、今も“形見のすすき”が残っています」と教えられる。(箕輪は名取市高館。笠島は名取市愛島)
宮城野
あやめ草足に結ばん草鞋の緒
芭蕉は仙台で4・5日をすごした。“宮城野”など名所・歌枕を案内した画工・加右衛門は、仙台を立つ芭蕉に〈紺の染め緒〉の草鞋2足などを餞別に贈った。
山形・尾花沢
まゆはきを俤にして紅粉の花
山形の尾花沢では今も7月はベニバナの一面の花畑。この花の姿は、白粉をつけたあとで眉を払う「眉掃き」のよう…。
象潟
象潟や雨に西施がねぶの花
雨にぬれたネムの花。あたかも中国の美女西施が憂いの顔のようと咲いていた。
市振の関
一つ家に遊女も寝たり萩と月
市振の宿の隣の部屋に、2人の遊女の声。おりしも萩の盛り、月も澄み渡った夜であった。翌朝、出立のとき、「私どもは伊勢参りへの旅、後をついて参りたい」と頼まれるが…。
萩の花
種の浜にて
波の間や小貝にまじる萩の塵
敦賀市色浜の
本隆寺
に句碑がある。
芦野で詠まれた「
田一枚植えて立ち去る柳かな
」の碑もあったようだが、撮り忘れた。
斎藤茂吉
秋の風吹きてゐたれば遠かたの薄のなかに曼珠沙華赤し
『赤光』収録の歌である。
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