このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
淀姫神社
〜芭蕉の句碑〜
武雄市武雄町大字武雄に武雄温泉がある。
武雄温泉楼門
国重要文化財 建造物 武雄温泉新館及び楼門 二棟
武雄温泉の新館と楼門は、武雄温泉組(現在の武雄温泉株式会社)が、辰野・葛西建築事務所に設計を、清水組(現在の清水建設)に施工を委託し大正3年(1914年)に着工、翌4年に竣工しました。辰野金吾は唐津出身で、明治から大正期にかけての我が国の建築界における第一人者として知られています。この新館と楼門は、辰野の晩年の大作と言われる東京駅と同期の作品ですが、現存する中で数少ない木造建築であり、辰野の設計になる佐賀県内唯一の建築物です。また、正面に竜宮門をおく配置計画、複数の浴室と休憩室を一体化した施設計画など、保養施設の歴史を知る上でも重要なことから、国の指定を受けました。
明和8年(1771年)5月、蝶夢は武雄の温泉に入る。
牛津・小田の宿々を経て、武雄の温泉に入る。此頃の雨にぬれたる衣をもあぶらんとなり。
『宰府紀行』
昭和7年(1932年)1月28日、
山頭火
は武雄を訪れ、31日まで滞在。
一月卅日 晴、暖、滞在、宿は同前、等々々。
お天気はよし、温泉はあるし、お布施はたつぷり(解秋和尚から、そして緑平老からも)、どまぐれざるをえない。
一浴して一杯、二浴して二杯、そしてまた三浴して三杯だ、百浴百杯、千浴千杯、万浴万杯、八万四千浴八万四千杯の元気なし。
けふいちにちはなまけるつもりだつたが、おもひかへして、午後二時間ばかり行乞。
よき食慾とよき睡眠、そしてよき生
(ママ)
慾とよき浪費、それより外に何物もない!
とにかくルンペンのひとり旅はさみしいね。
行乞記(二)
楼門左手の坂を上り、右手の小さな石段を上ると淀姫神社がある。
武雄第二代領主後藤資茂が温泉の鎮守として建立したもの。
祭神は神功皇后の妹で淀姫命で、淀姫が入浴後の散歩のとき休憩された所であろうと伝承されている。
左手の岩に芭蕉の句が刻まれていた。
蓬莱に聞かばや伊勢の初だより
出典は
『炭俵』
。「
立春
」と前書きがある。
元禄7年(1896年)、江戸で詠まれた句。
自然の岩にそのまま芭蕉の句が刻まれているのは珍しい。
「
この句は全国7箇所で刻まれているという
」とあったが、私の見た14番目の句碑である。
その左手の岩にも句がが刻まれていた。
しら菊やほのかに匂ふ夕月夜
武雄の俳人鶴堂仙の句である。
2016年
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