このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2008年

旧中山道跡〜宮沢賢治の歌碑〜
indexにもどる

熊谷の国道17号は旧 中山道

鎌倉町交差点に「旧中山道跡」の碑があった。


「旧中山道跡」


熊谷(くまがい)宿は、 鴻巣宿 の次の中山道8番目の宿場。

「旧中山道跡」の碑の脇に 宮沢賢治 の歌碑があった。

宮沢賢治の歌碑(表)


熊谷の蓮生坊がたてし碑の旅はるばると泪あふれぬ

宮沢賢治の歌碑(裏)


武蔵の国熊谷宿の蠍座の淡々ひかりぬ九月の二日

 大正5年(1916年)9月2日「雨ニモマケズ」で有名な宮沢賢治が、盛岡高等農林2年のとき、秩父地方の土性地質調査の途中熊谷で宿泊し詠んだ歌です。

平成9年(1997年)9月2日、くまがや賢治の会建立。

鎌倉町交差点の北に熊谷寺という寺がある。

蓮生山熊谷寺


浄土宗 の寺である。

日曜日以外は拝観できない。

 元禄4年(1691年)10月9日、 森川許六 は彦根藩中屋敷を出て彦根藩に帰る。10日、熊谷寺で句を詠んでいる。

熊谷寺といふ所は、むかし次郎直実といひける人すみける也。熊谷寺といふ寺はかの人菩提所也

(たき)あます熊谷でらの木葉かな


 延享2年(1745年)4月6日、 横井也有 は尾張公のお供をして江戸を下る。7日、熊谷寺には立ち寄らず、 本庄 に泊まる。

 七日

 熊谷寺に直実が像などあるよし、みちのあハ(わ)たゞしくて立よらず。

   熊谷もはては坊主やけしの花

 今夜は本庄に泊る。


 寛政5年(1793年)9月3日、田上菊舎は熊谷寺の開山忌に参詣した。

此日の道十里に近し。熊谷宿に泊。幸ひ三日より四日迄、かの熊谷山開山忌とて、人々群集せ。幸に参詣して、ありし古歌など思ひいでゝ

われも道にうしろは見せじ月の笠


 享和2年(1802年)4月5日、太田南畝は熊谷宿に泊まり熊谷寺を訪れている。

布施半蔵といへる宿にとまり定めて、湯あみ物くひ酒のみなどしつゝ、まだ日も暮ねば蓮生寺のうら門より入てみるに、本堂の額、熊谷寺の三字は支那伝法紗門高泉書とあり。門の額は蓮生山の字なり。日くれかゝりて筆者の名わかたず。熊谷蓮生法師の事は人みなしる所也。この所に終とりける事、くはしく縁起にみえたり。


私の旅日記2008年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください