このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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三越デパート〜漱石の越後屋〜

中央区日本橋室町に三越デパートがある。


三越デパートの屋上に三圍神社がある。


三圍神社縁起

 今から645年程前の文和年間、近江 三井寺 の僧源慶が東国を巡錫中、隅田川 牛島のほとり の弘法大師建立になる荒れ果てた小堂に立ち寄った際、その床下より現れた壷をあけると、その中より忽然と白狐が現れ壷の中の宇迦之御魂命の神像のまわりを三度めぐって、いずこともなく消え去ったので、爾今この社を「みめぐり(三圍)」と呼ばれるようになったと伝えられております。

 また、元禄6年(1693年)の旱魃の際俳人 其角 はこの社に「夕立や田を見めぐりの神ならば」と一句献じますと、翌日雨が降ったといわれております。

 爾来何でも願い事の叶う縁起のよい神として大正3年9月21日当屋上に遷座されて以来、広く庶民より崇められております。

 延宝元年(1673年)、伊勢商人の三井高利が江戸本町一丁目に呉服店「越後屋」を開業。

 天和2年(1682年)12月28日、天和の大火( 八百屋お七の火事 )にあい、翌年5月本町から駿河町に移転し、両替店(現在の三井住友銀行)を併置。

名所江戸百景「駿河町」(歌川広重)


 ちなみに深川の 芭蕉庵 も天和の大火で焼けている。

 蕉門十哲のひとり 志太野坡 は両替商三井越後屋の番頭である。

 明治38年(1904年)、「株式会社三越呉服店」を設立。初代専務に日比翁助が就任。

漱石の越後屋


漱石 は小学校へ上がる前に黄八丈や縮面を買いに越後屋へ連れられて来た。

夕暮れに雨戸を操る音、店先の暖簾の色は永く記憶に残った。

虞美人草浴衣は高級人気品として今なお語り継がれている。

  平成18年12月吉日

早稲田大学第十四代総長

奥島孝康 識

 漱石の『こころ』で、私と奥さん・お嬢さんの三人が日本橋へ買いものに行ったのも「越後屋」であったのだろうか。

 三人は日本橋へ行って買いたいものを買いました。買う間にも色々気が変るので、思ったより暇がかかりました。奥さんはわざわざ私の名を呼んでどうだろうと相談をするのです。時々反物をお嬢さんの肩から胸へ竪に宛てておいて、私に二、三歩遠退いて見てくれろというのです。私はそのたびごとに、それは駄目だとか、それはよく似合うとか、とにかく一人前の口を聞きました。

『こころ』(下 先生と遺書 十七)

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