このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

昔の旅日記

「由比の富士」〜寸又峡温泉〜
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 東名高速富士川SAで休憩するつもりだったが、うっかりして通り過ぎてしまった。仕方がないので由比PAに車を停める。

富士山がよく見えた。


相良牧之原ICから国道473号に入って北上。

金谷の町外れに諏訪原城跡がある。


  武田勝頼 の臣馬場美濃守の縄張で築かれた山城の跡だそうだ。だだっ広い所にあちこち立て札があるだけ。もちろん誰もいない。小雪が舞って、寒かった。

「小夜の中山」 は、この辺りだ。


年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山    西行

 芭蕉の 『野ざらし紀行』 に「二十日余りの月かすかに見えて、山の根際いと暗きに、馬上に鞭をたれて、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に至りて忽ち驚く。 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」とある。

貞亨元年(1684年)8月20日のことである。

「金谷坂の石畳」があった。




  金谷坂の石畳 があった。「街道の石畳で往時を偲ぶことができるのは、この金谷坂のほか、箱根峠と中山道の十曲峠の3箇所だけ」だそうだ。十曲峠は長野と岐阜の県境にある。

 国道473号に戻り、大井川に沿って、北上。中川根で国道362号に入り、大井川に沿って、さらに北上。本川根で県道77号に入り、大井川に沿って、さらにさらに北上。

そのまま大井川に沿って行くと、接岨峡温泉になる。

県道77号は大井川を離れて、寸又峡温泉へ。

寸又峡温泉が行き止まりである。

 寸又峡温泉(静岡)は明治22年(1889年)に発見されたが、ダムに水没した。現在の寸又峡温泉は昭和30年に新たに掘り当てたもの。

「奥大井観光ホテル翠紅苑」に泊まる。

年の瀬の忙しい時期だから、宿は空いていた。

帰りは本川根千頭から国道362号で静岡に抜ける。

険しい山道だと書いてあったが、それほどのことはない。

 藁科川に沿って下っていく。途中の酒屋で「藁科川」という地酒を買った。もう1本、別のお酒を買ったら、カレンダーをくれた。

東名高速に入らず、国道1号を走った。

細くて急な坂道を登って、薩垂峠に行く。


 「歌川広重が描いた当時とほぼ同じ風景が望めるのは、五十三次の中でもここだけと言われる名勝」だそうだが、ずいぶん違うように思う。

写真は誰が撮っても「ほぼ同じ風景」だ。


帰りの東名高速と首都高は混んでいた。国道16号も混んでいた。

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