このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

天童〜芭蕉の句碑巡り〜
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JR奥羽本線天童駅東口を出て、天童温泉に向かう。


本町1丁目の「都旅館」前に「曽良日記」の碑があった。


おくのほそ道

俳聖芭蕉翁は元禄2年(1689年)3月江戸深川よりおくのほそ道に旅立つ。白河・松島・平泉と行脚を続け、尾花沢に10泊、俳会を催す。羽州街道をとおり天童の念仏堂を経て、山寺に1泊する。

元禄二年五月廿七日

天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡迄被送ル。尾花沢。二リ、本飯田。一リ、舘岡。一リ、六田。馬次間ニ内蔵ニ逢。二リよ、天童。一リ半ニ近シ。山寺。未ノ下尅ニ着。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。是ヨリ山形ヘ三リ。

山形ヘ趣カントシテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。関東道、九十里余。

廿八日

馬借テ天童ニ趣。六田ニテ、又内蔵ニ逢。立寄レバ持賞ス。未ノ中尅、 大石田一英宅 ニ着。両日共ニ危クシテ雨不降。本飯田ヨリ壱リ半、川水出合、其夜、労ニ依テ無俳。休ス。

(曽良日記)

平成5年(1993年)11月、天童市建立。

向かいの原田歯科医院前には芭蕉の句碑があった。


閑さや巖にしみ入蝉の聲

言うまでもなく、 山寺 で詠まれた句である。

本町2丁目の「さかい軒」前にも芭蕉の句碑があった。


まゆはきを俤にして紅粉の花

尾花沢の 鈴木清風 亭で詠まれた句。

県道22号山形天童線は羽州街道。

芭蕉が通った道である。

本町1丁目の「山本商会」前に芭蕉の句碑があった。


古池や蛙飛こむ水の音

深川芭蕉庵 で詠まれた句である。

念仏堂 に建てられ天童で最も古い芭蕉の句碑にちなんでのことであろう。

羽州街道を念仏堂跡に向かう。

本町2丁目の天童寿ビル前にも芭蕉の句碑があった。


雲の峯いくつ崩れて月の山

元禄2年(1689年)6月6日、 月山 に登る途中で詠まれた句。

三日町1丁目の武内王将堂前にも芭蕉の句碑があった。


行く末は誰肌ふれむ紅の花

俳諧一葉集』 に収録されている句。

清風 亭」と前書きがある。

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