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私の旅日記
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2013年
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長沢池
〜碑巡り〜
山口市鋳銭司今宿東の国道2号線沿いに長沢池がある。
長沢池
慶安4年(1651)頃、小郡代官東条九郎右衛門によって築造された灌漑用水池である。
長沢池に弁天社がある。
寛文3年(1663年)、築造。
小さな祠があるだけで、社殿はない。
弁天社に宗祇の歌碑があった。
ほとときすはや啼すきよこの宿をよそにも今は初音まつころ
明治元年(1968年)、建立。
文明12年(1480年)、
宗祇
は大内政弘に招かれ都から下向、住吉神社で休んでいる時に「
この宿にしばしとどまれほととぎす今し初音を聞きしたらねば
」と詠むと、傍らの童子が「
ほととぎすはや啼過ぎよこの宿をよそにも今は初音まつころ
」と詠んだという。
住吉神社も今はない。
芭蕉の句碑もあった。
旅人と我名呼れん初しくれ
出典は
『笈の小文』
。
貞亨4年(1687年)10月25日、芭蕉は亡父三十三回忌の法要に参列するために江戸深川を出発する。10月11日、
其角亭
で送別句会で詠まれた句。
文政4年(1821年)、建立。
もう一つ芭蕉の句碑があった。
何の木の花とはしらす匂ひ哉
出典は
『笈の小文』
。
「
伊勢山田
」と前書きがある。
貞亨5年(1688年)2月4日、
伊勢神宮外宮
参拝の折に詠まれた句。
文久2年(1862年)11月、野村春阿建立。
文政3年(1820年)、春阿は今宿に生まれる。全国を行脚し、
近江の芭蕉の墓
にも参詣しているそうだ。
明治40年(1907年)、没。
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