このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

黒嶋観音〜碑巡り〜
indexにもどる

吉見駅 からサンデン交通のバスで吉母港へ。

下関市吉母は本州最西端の地。

黒嶋観音堂入口の階段


右手に幽里の句碑があった。


店ふさぐ蚊帳をめくりて出ては売る

幽里が44歳の時に山口県逓信部内俳句大会で特選になった句。

昭和52年(1977年)12月、建立。

石段を上る。

黒嶋観音


芭蕉の句碑 があった。


うたがふな潮の花も浦の春

出典は 『いつを昔』 (其角編)。

元禄2年(1689年)春、芭蕉46歳の句。

二見の図を拝み侍りて」と前書きがある。

 弘化年中(1845−1848)、獅子門道統(以哉派)十一世宗匠青木奚花坊筑紫行脚の折に書。

安政3年(1856年)、杜若庵逸哉造立。

少し離れて 支考の句碑 があった。


牛阿るこゑに鴫たつゆふへかな

出典は『枇杷園随筆』( 井上士朗 )。

亀田逸哉の句碑


大空に知らぬ吹雪や山桜

 寛政6年(1794年)12月22日、逸哉は生まれる。本名は経重、又の名は三郎兵衛。

 23歳で吉見永田郷の庄屋となり、40歳で吉母の庄屋の役につく。

 天保3年(1832年)不易吟社を創設し、杜若庵一世となる。

 明治元年(1868年)12月11日、74歳で没。

名月や如何なる人も仰向きぬ

尾形逸合の句碑


黒嶋や仰ぐ真如の月涼し

黒嶋観音には、その他十数基の句碑がある。





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください