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万世大路特別編

山形県米沢市〜福島県福島市
2007・11・10 来訪

2007年11月10日、それは決行された。

事の発端は2006年の末まで遡る。
カブでの福島側到達レポ を公開した少し後ぐらいに
DTM のMR氏より一通のメールが届く。

「今度、万世大路を合同で探索をしませんか?」

年が明けて2007年、東北の山々に春が訪れる5月に合同アタックは行なわれるはずであった。
しかし、山形側レポにも述べたとおり、アタック直前に自分は山梨の山中で骨折。
万世大路山形側アタックに参加する事が出来なかったのである。

再び季節は秋に変わり9月。
再度、MR氏より合同アタックのお誘いが来る。
このアタックでお互い未到達の区間を走破しようと言う事となる。

しかし、一つ自分には不安な点があった。
『果たして自分のへたれテクで、他の人のペースを合わせられるのか?』
鈍行ペースの上に写真まで撮っていたら、他の参加者に迷惑がかかるのでは?
では、その前に一回行っといてある程度の状況を把握しといた方がいいかも。

上記の理由から決行されたのが 2007年10月の単独探索 である。
途中、「隧道まで行けんじゃねェの?」と思い上がった気持ちになるが
結果として尻尾を巻いて撤退する事となった。

やはり、今の自分では無理か・・・。



そして、ついに訪れた合同アタックの日。
今回は心強い同行者もいる。
果たしてセローさんと共に栗子隧道へ辿り付く事が出来るのか?


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



また、今回予想通り他の方のペースに合わせるのに精一杯だった為
自分の写真が少なくなってしまいました orz

よって本レポは同行のMR氏の画像を幾つかお借りしています


快く画像使用を許可して頂き、MR氏にはこの場において改めて御礼致します


本日のアタック参加者
(通称・栗子ヤマハ旅団)
あずさ2号(セロー250)

このサイトの管理人。
千葉からやって来たへタレ。
本日の転倒王。

熊五郎氏(DT200WR)

会津からやって来た
頼れる兄貴。
前半から後半まで
お世話になりました。
とら氏(セロー225)

宮城よりやって来た
老練なるカモシカ使い。

とら氏は途中参加。
かなり予想外の場所で
合流する事となる。

MR氏(TT−Rレイド)

DTM 管理人にして
東北 山ライダー界の重鎮

全てはこの方の
メールから始まった。



いやーー、イイ天気だなァ!
厚い雲、止まない雨。
まさに廃道日和!!


・・・orz

2,3日前より決行日の天気予報があまり良くない事が危惧されていたが、
一応前日の予報では午前中はなんとか『曇り』となっていた。

が実際の所、朝から雨。

自分は前日夜に家を出て、福島まで東北道を突っ走って来た訳だが
その間もずっと雨。
防水性のジャケット&オーバーパンツを身に着けていたのだが
4時間近く走り続けている内にスキマから水が浸水。
すでに全身ズブ濡れである。
ついでにポケットに入れていたケータイ内部にも浸水し
あえなく昇天なされるアクシデントまで起きた。

ある意味「もう失う物はねェ!」と言った感じで
集合場所である東西栗子トンネルの間にある米沢(?)ラーメン屋前へと向かう。


ラーメン屋前には一足早く熊五郎氏が着いていた。
熊五郎氏とは一応初対面ではあるが、
webではすで何度も連絡取り合っていたので初めてと言う気がしない。
ネットの恩恵をつくづく感じる。

しばらくしてMR氏登場。
所用があり少々出発が遅れたしまったらしい。
後に合流する とら氏を残し今回の参加者が取りあえずそろった。
改めてお互いに自己紹介しあった後、出発。

西栗子トンネルを抜け、新旧分岐地点へ向かう。

今なお大型ダンプが行き交う旧道を通り、採石場構内へ。
MR氏が事務所へ通過許可を貰いに行く。
砕石場向こうの山の上には雲が覆いかぶさる。
天気の良かった前回と違い、今回は相当路面のコンディションは悪そうだ。
特に断念することを決定させたW倒木&沼地はどういう状況なっている事だろうか?
そんな事を考えているうちMR氏が戻ってくる。

さて出発しようかと思ったとき、MR氏が面白い物を見つける。

採石場の占有許可や採取方法、責任者を表記した事務的な看板なのだが
その横にある構内の地図に注目。
わざわざ、この構内道路が『旧国道』であり、また『廃道』である事を表記しているのだ。
なんでまあ、『廃道』なんて表記したんだろ?

この採石場が登録されたのが昭和46年11月。
栗子隧道が閉塞する直前(47年に閉塞)である。
この看板を立てたときは、
まだ うっかりこっちが国道だと思って入ってくる人がいたからだろうか?

作業員達が黙々と働く構内を横断し、瀧岩上橋へ。
橋の前には『保存会』が立てた案内柱。
この案内柱、MR氏が07年の春に探索された時には無かった物である。
この年は、このような史跡保存活動やトレッキングツアーなど、万世大路に関するイベントが幾つか催された年であった。
もしかしたら『万世大路再評価元年』とも言える年だったのかも知れない。

だが、この道の歴史において最も「衝撃的な事件」がおきていた事はこの時知る由も無かった・・・
橋を渡り、荒れた林道状態となった旧道を進む。
一月前に来た時は路面の半分以上が草に覆われていた区間が、
今回はすっかり植生が収まり路面は黄色い絨毯に敷き詰められていた。
辺りの木々は色付き鮮やかな紅葉の季節を迎えていた。
天気には恵まれなかったが、雨露の紅葉も悪くない。
黄金色の道を気持ちよく進む。

たまにリアをスリップさせながらww
まあ、とにかく滑るんですわ。
タダでさえ濡れたダートは滑るのに、更に落葉が積もって滑る滑る。
こういう角度と段差がある九十九折れなんかも、うまくライン取らないとやっぱりリアが滑ってバランス崩しそうになる。
(この場所ではコケなかったが)
登りの途中、MR氏に指摘され小さな橋がある事に気付く。
前回来た時には、全く気付かなかったものだ。
何せ前回は道の周りに植物が生い茂り、さらにこの橋の上にも土が被さっているので
走っていると全く橋の上と言う気がしないのである。
こんな短い橋でも万世大路の遺構の一つである事には違いなく
もし消失したとしたら車両での隧道への到達が相当に困難な物となるであろう。
ただ、その時はその時で自作で橋を再生させてしまう人が現れそうだが・・・
数回の九十九折れを登り、切り通しの所まで到着。
ここで一時休憩。
なぜか、自分とMR氏でお互いに向かい合って撮り合うw

さて、路面がやや路面が滑るものの、ここまでは何事も無く辿り着いた。
しかし、言うまでも無くここから先が大変なのだ
切り通しから出発してまもなく四輪の通行を遮断する、『倒木ゲート』が現れる。
ここを過ぎれば一転、『本気の万世大路』が襲い掛かる。
一気に藪の濃度が濃くなり、一車線あった路面が半分以下となる。
しかし、やはり前回の悪夢のような植生と比べれれば
まだ落ち着いた状況だ。
前回殆ど植物に隠れていた石垣の法面も今回ははっきり見える。

これは行けるか?
と思ったら速攻で転倒。

熊五郎氏の助けを借りて、バイクを起こすの図。

熊五郎氏のDT200WRのミラーが在らぬほうに向いてるが、これは藪や低い木に引っかかるのを避けるため。
正直、廃道ではミラーなんぞ邪魔。
ちなみに自分、山下りる時はミラー取っ払ってました。
泥ヌタ&鬼段差九十九折れ。
一見画像じゃ分からないがカーブの途中に30cmぐらいの段差がある。(画像にカーソルを)
山形編にも書いた通り、中々の難関で今回もやっぱりコケた。
2回目でなんとか這い上がる。
ちなみに画面中央の大きな轍が這い上がった時の跡である。
ルート進行方向は画像左側なのだが、登るのが精一杯で全くあらぬ方向へ進んでしまった。
登った先もドロヌタで方向転換も一苦労。
草木をなぎ倒してムリヤリ進行方向変えてたりする。
段差泥ヌタ九十九折れをクリアした後も、倒木、路面崩壊等、三島閣下の常世の国からのプレゼントが目白押し。
これが貴方のまごころですか?
我ら3人、閣下からのおもてなしを存分にうけ エンジンより白煙巻き上げながら突き進みます.
もうここは道じゃなくて沢ですわ。
そして広がるは湿地帯。
グチャグチャ、デロデロ。
飛び散る泥濘、沈むフロントタイヤ。
単独アタックだったら また逃げ出してたなw

しかーし今回は一人じゃない!
また、路面こそカオスなものの、やはり藪が薄いのがありがたい。
苦戦しつつも確実に前進。

そして、ここで僕は吼えた。

『道がある!』

お分かりだろうか?
ここは前回、撤退を決心させたW倒木&泥沼ゾーンなのである!

前回は倒木の両脇が完全に藪に覆われ、
とてもバイクで通れるような状況ではなかったのである。

↓参考画像

この倒木周辺を覆っていた藪が枯れ、
バイクが通る分には十分なスペースが出来ていたのである。
厳密に言えば、藪枯れゾーンの部分にも沢がいい感じに流れていて
真っ当な路面とは言えないのだが、それでも通行不能だった前回比べればマシである。

追記

このレポの公開後、
我々より10日ほど前にアタックされた方からメールを頂きました。
このW倒木+泥沼区間の迂回ルート。
実はメールを送って頂いた方と同行者の方が
この迂回ルートを開削されたそうです。
アノ状況から新ルートを造ってしまうとは・・・
偉大なり!

ここの突破は自分にとって大きなものだった。
あの前進を阻んだ倒木はすでに後方にある。

これは行ける!


自信は確信へと変わった。



と言いつつ、また熊五郎氏に助けてもらってたり。


一方、自分がアタフタしていた倒木を熊五郎氏は軽々越えていく。
ううーん、改めて自分のへタレテクを思い知らされる。

湿原と化した大カーブの上に大きな轍を作りながら進む。
カーブの付け根には上から流れてきた沢によって大きな溝が出来ていたが
何とか乗り越えていく。

ここを過ぎればもう一直線!
依然、路面は泥ヌタだし眼前は藪にまみれで数m先も見えない。


しかし確かに感じる。
奴の気配を!


そして・・・




きた?


キタ!


キター!


キターー!


キターーー!




来やがったーー!!!
栗子隧道、到達なり


続く

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