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国道135号線 トモロ旧道

静岡県東伊豆町
2007・2・4 来訪

殆ど埋没しているものの、僅かに痕跡を残していた城東隧道。
トモロ三隧道のうち白田・城東隧道を探索し、残るは黒根隧道。
伊東側から接近を試みるも発見できなかった隧道を、こちら側から再び挑戦。

しかし・・・

城東隧道より再びこの場所へ戻る。
そして今度は伊東方面、黒根隧道へと足を踏み入れる。

こちら側も他の区間と同じくグタグタ状態。

さてさて、このかつての国道の原形を殆ど留めていないトモロ旧道。
何故また、こんなにもコテンパンになってしまったのか?


答えは地震である。

昭和53年1月14日、伊豆大島近海でM7.0の大地震が発生した。
地震によって半島各地に土砂災害が引き起こされた直後に、今度は大雨が直撃。
これにより更に被害が広がり、半島全体の交通網が壊滅状態に陥り
陸の孤島となった地域が多く発生する事になってしまった。

このトモロ旧道の惨状はその時に出来たモノである。
トモロ旧道について調べていた際、
とある地震について学術研究を公開しているサイトで(迂闊にも、どのサイトか失念)
伊豆大島近海地震直後の写真が掲載されていた。
そしてそこには、山が丸ごと崩れ崩壊してしまった道路が写されていた。
場所は特定されていなかったが、間違いなくR135トモロ旧道であろう。

地震と大雨によって完全に崩壊してしまった国道は、復旧不可能とされて放棄されてしまったのである。
(現在の国道は、当時の有料バイパスであり旧道が放棄された代わりに無料開放された物。)

『入口地点』すぐそばに、このような標柱が。
完全に放棄されているようにみえて、今だ何らかの管理を受けているのか?
それとも、これも「災害」の時より放置されているものであるのか?
もう少し進むと、このようなパイプが半分埋もれたように転がっていた。
元々埋設物だったのが地崩れで表面に出てきたのか?
雑草の合間に目をやれば、その他にも色々な物が目に入る元・国道。
100m程歩いた所で崩落出現。
恐らく20年前の地震で出来た物と思われ、もう殆ど地形の一部と化している。
普通の斜面を歩くような感覚で登っていく。
が、それはとんでもない間違いであった。

最初は何でもなく歩いていた足元が、次第に覚束ない感触になっていく
そして徐々に崖側へ滑り落ちていく。


・・・嫌な汗が全身から滲み出る。
そう、ここは今だ現在進行形で崩落を続けているのである。
雑草に覆われ一見安定しているように見えるが、実は薄い土の幕が覆っているだけなのだ。
ゆえに体重をかけると、ズルズルとその土の幕が滑り落ちていく。
それゆえか自分のいる位置に体重を支えられそうな木が無い。
上記画像に若い木が写っているがが、何気に手が届きそうで届かない位置にあるのだ。
ムリに手を伸ばそうとすれば、体勢を崩しそのまま滑落する恐れがさえある。
運良く滑落する寸前に木に捕まえられれば良いが、最悪の場合
殆ど水平に近い斜面をパチンコ球のように木々にぶつかりながら海ヘと落ちていく事になるであろう。

と言うか、何でこんなトコ来るのにライダーブーツなんか履いてるんだ、自分!
当然、こういう時に役立ちそうな登山グッツなぞ待ち合わせているわけが無い。
ええ、この上なく無用心な体勢で危険地帯へ侵入しています。
アホです。

この時にぐるぐると頭の中を駆け巡っていたキャッチコピー(?)

『あずさ2号、伊豆の海に死す』


・・・・・・・。

泣きそうな、いや、すでに軽く泣いた顔で斜面にしがみつく28歳(独身)。
全く身動きがとれない、というか体を動かす度に斜面が崩れていく。
この時、廃墟で探索を続けている百円氏達に大声で助けを呼ぼうかと思うが
数百m離れた場所に届くはずも無い。

とにかく、少しでも生還への方法を見出す為に必死に思考する。

そして、考え付いた脱出手段が・・・
まず左下に生えている木を足場にする。
次に画像には写っていない左側に生えていた木に?まり脱出することにした
ただ、足場にすべき左下の木が実際の現場だと画像以上に下向きに生えており、
万一体重を支えられなかったらTHE・ENDである。
それ以前に、あそこまで足を延ばすのが怖い。

しかし、ずっとこんな場所にいるわけにもいくまい。
意を決して足を伸ばす。
案の定、体は下へと滑り落ち始める。
全身に電流が走る。

こらえてくれ!

・・・不安定ながらも木の根は何とか体重を支えてくれている。

よし。

バランスが崩れぬうち、慎重に手を伸ばす。
だが、身動きをするたび、足元の土がパラパラと崩れ落ちる。
頭にはチラチラと死のイメージ。
しかし、それ以上に生への渇望。


届け!


手にしっかり希望に満ちた感触


こうして私は生還した。




それから、数日後。

再び 廃線隧道のホームページ を閲覧した。
そこには驚愕のレポ。

管理人しろさんが黒根隧道に到達している!
しかも、自分が探索した前日に来られているではないか!


うーん、すげー。

でも僕はもうあそこへは行きたくないですw




番外 稲取病棟

殆どの方が気付いておられると思いますが、
今回旧道へのアプローチに使った場所というのがこの稲取病棟の廃墟です。
かつて、トモロ旧道よりこの場所へ伸びていた道をアプローチに使ったわけです。

心霊系では色々なウワサが絶えないこの場所ですが、
昼間なら意外なほど緑が美しい廃墟です。
(まあ、最初はかなりビビっていたが)
本来、廃墟は専門外ですし被写体を綺麗に撮る技術も無いですが
数枚程撮ってみたのでご覧ください。


(注)こちらは 結核 などの感染病で使われていた病棟です。
進入の際、感染の危険が全く無いとは言い切れません。
もしも ここへ行きたいと思われましたら、上記の事を十分に留意して下さい。
(自分も後でいろいろ調べてから、恐ろしくなりました・・・)

侵入口より。
拍子抜けするぐらい、あっさりそれは現れる。
かつて、この中に患者達の生活があった。

この椅子に座り彼らは何を思ったか?
月日があらゆる物を崩壊させる。

摘む者が消えても、蜜柑の木は果実を実らす。


渡り通路でさえ、壁で囲い外界との接続をシャットダウンしている。
これを見て改めて『隔離』の為の施設だと思った。

この人里離れた場所で暮らさざる得なかった人たち。
その思いが自分に重く圧し掛かる。


今はその悲しい記憶を、美しい緑が優しく包み込んでいた。





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