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30日(木) 「プレゼント」
三十五日の今日、カルカンから2001年の猫カレンダーが届く。先日の動物フェスティバルの景品でいただいた製品のバーコードで応募した物だ。これも、コロからの贈り物のひとつだと思う。
29日(水) 「安心」
中国のお菓子をコロに供える。コロが食べるかどうかは、今では判断できないが、気に入ってくれる事だろう。コロが寝たきりになって以来、わたしが家をこんなに空けたのは初めてだった。たぶん、家の中にいるコロの魂も、わたしが帰ってきた事を喜んでいると思う。家中を飛び跳ねながら。
28日(火) 「笑顔」
どこを見ても中国には野良猫はいなかった。事情はわからないが、その事が良い事なのか悪い事なのかは、判断できなかった。無事に帰国し家へと帰る。家にあるコロの写真は、少しさみしそうな表情だった。久しぶりにコロにお線香を供え、少しだけお話する。写真のコロの表情は元に戻っていた。
27日(月) 「仏」
天童寺で小さな仏像を購入。コロへのお土産として。
26日(日) 「迷」
観光中は忙しさでコロの事を忘れてしまうが、お土産屋とか、部屋でゆっくりするとコロの事を思い出す。コロへのお土産は何にしようか。本来は不要なのだが、今回は何かを買おうと思っている。
25日(土) 「旅立ち」
中国への旅行に出掛けた。コロの写真を必ず持ち歩くバッグに入れて。富士山の火口が見える上空で、コロの事を考えていた。少しだけ、近づく事ができたのだろうか?
24日(金) 「いつまでも」
コロの夢を見た。わたしが眼を開くと、コロのしっぽが鼻に当たった。いつものコロのしっぽだった。眼を閉じても開いても、コロの事を見ていられる。なんだかうれしかった。
23日(木・勤労感謝の日) 「大好き」
霊園への申し込みを終えた。コロの霊壇は人通りの多い入口の側に決め、位牌と当日の納経をお願いする。すこしだけ、気持ちが落ち着いた。霊園までは車で30分、JRでは1駅なので納骨後も気軽に逢いに行ける。そんな今日の夕食は「おでん」だった。元気な時のコロは、煮込んでいる時から騒がしかった。寝たきりになっても、煮込むと起きた。そんな事を思い出していると、実際に食べる時になって涙が出てくる。いつものように手のひらに「はんぺん」をのせて、少しの間コロが食べていたようにしておいた。
22日(水) 「さみしさ」
だんだんと四十九日が近づいてきた。その前の休日に、コロの遺骨は預ける予定だが、なんとなく淋しいと思う気持ちも大きい。明日は先日下見をした霊園へ申し込みに行く予定なのだが、コロも連れていこうと思っている。そんな今日、コロ記を1編書き終えた。やはり、まだ当日の事を書ける力が、わたしには無い。
21日(火) 「指先に」
毎日必ずコロと接していた日々には考えもしなかった事だが、あれから約1ヶ月、猫をはじめとした動物に触れていない事に気がついた。でも自然と、さみしさはないような気がする。おはようとか、いってくるねとか、おやすみとかの言葉を骨壷と写真、更に今までコロが眠っていた所にしているからなのだろう。そして、その眠っているコロを撫でるとき、自然にわたしの指先には、コロの感触がよみがえってくるのだ。
十数本あるコロのビデオを編集する事にした。そこで今日から開始、オープニングの3分間が完成。
20日(月) 「香」
コロが亡くなった次の日から、コロの食事はお線香へと変わる。その時から使っていた1箱が今日終わった。父の仏壇でも命日にしか使わない「永平寺極上零陵香」。明日からのお線香は「三千院金色不動香」にする。コロが生きている時に買ってきた最後のお線香だ。ちなみに、今日のコロの夕食はモンプチとサイエンスダイエットの猫缶にサンマの塩焼き。きっと猫缶には手をつけなかったのだろう。
19日(日) 「衝撃」
インターネットではコロが亡くなった事を伝えているものの、ご近所の方をはじめインターネットを見ていない方のほとんどは、まだコロが亡くなっている事を知らない。そんな今日、二人の方から「コロちゃん元気?」と声をかけられる。正直に伝えると、相当驚かれた様子だった。目を真っ赤にされた方もいた。転落事故の後もそうであったように、時が経つにつれ、亡くなった事についても徐々に冷静に話せるようになってきた自分に気がつく。
18日(土) 「真剣」
「コロのもの」を探しに、今日も買い物に出掛けた。今まで、ペットフードを選んでいた気持ちに似ていて、気分がかなり紛れる。こんな時には、コロが亡くなっている事を忘れてしまっているのだ。コロのものを探している気持ちの方が大きくなる。途中、よく行くペットショップに立寄ると、ベンガルのゲージに「商談中」の文字を見つけ、少し安心する。更にアイボショップも発見し、逢ってきた。何とも言えない複雑な感じだった。先日犬が亡くなった老婦人が、散歩が大変だから・・・と注文をしていた。その気持ちもわからなくはないのだが、そうではない気もする。
17日(金) 「買い物」
都内最大級と言うペットショップへ行ってきた。コロのものを買う目的で。結局は欲しい物が見つからずに帰ってきたのだが、ドライフードの試供品をいただき、アビシニアンがケース越しにじゃれてきて、ちょっと楽しく過ごす事ができた。
16日(木) 「理想と現実」
時々考える事がある。うちの今の状態は、新たに猫を飼うのにはとても適しているのだろう、と。道具、餌、ある程度のノウハウは揃っているから。ただ、こればかりは時間が経たないとわからないが、今は新たに猫を飼う気持ちは無い。今はまだ、何事においてもコロと比べてしまいそうだから。そんな今日、「アイボ」の注文が始まった。今回はライオンの子供を意識した、猫型ロボットだ。コロの事故当時、コロがいなくなった時には「アイボ」がいいであろうと「ちょっとした話」にも掲載しているが、現実の今の気持ちはそうではなかった。確かに可愛いであろう。世話もほとんど不要だ。ただ、もしもわたしが必要とするのであれば、あたたかさが足りないのだと思う。
15日(水) 「夕べ」
いつもコロの眠っていた場所を見ると、元気なコロが座っていた。目と目が合った途端、おしっこだと感じ、コロを抱いてトイレに向かう。いつもと同じトイレの時の抱き方をした時にふと気がついた。コロが亡くなっている事に・・・。トイレを無事に終わらせ、歩けるコロをすぐに降ろすと、コロは消えていった。そしてわたしは目を覚ます・・・・・昨夜の夢のお話しです。あの時の感触と重さは、間違いなく元気な時のコロだった。
14日(火) 「あれから」
変わった事と言えば夜の食事の時間が早くなった事。猫缶は開けずにコロの遺骨の前に置くようになった事。朝晩のお線香と般若心経・・・この位だろうか。コロが眠っていた座布団はないものの、たくさんの猫缶も、ペットシーツもそのまま。毎日のトイレの時間と食欲などの連絡用だったホワイトボードも、10月27日のままとなっている。たぶん、ホワイトボードが真っ白になるのが恐いのだ。そんな今日、コロがいなくなった後、何度か洗濯しているわたしの服から、コロの毛が出てきた。うれしかった。だけど・・・まだ、懐かしいとは思わなかった。いや、思いたくなかった。
13日(月) 「縁 〜えにし〜」
「だいすき」にてご紹介させていただいている「相田みつを」さん。有名な方で、多くの方がご存知の事と思います。しかし私が相田さんを知ったのは相田さんが亡くなった後。美術館へ出掛けるようになり作品を見ている時、新しい作品が生まれない事は当然の事なのですが悲しく思います。ただ、こんな新しい客に対しての美術館の対応は優しく、企画展毎に未発表の作品を展示していただき、楽しませていただいてます。
HPを公開する前から、コロへ応援のメッセージをたくさんの方から送っていただきました。その声はHPの開設と共に増え、コロもわたしも勇気づけられます。そしてコロが亡くなった時にも、みなさまからのあたたかいメッセージに、わたしは更に勇気づけられます。あれから数日、コロが亡くなった後からも新しくHPを見ていただいた方からメールをいただく事があります。コロはいないけれど、あたたかいメッセージを・・・。
コロのいない今、新しい写真を撮る事はできません。出来事もおこりません。ただ、たくさんの写真やビデオ、今までの思い出と経験はお伝えする事ができる。そして、以前からお世話になっている方々をはじめ、新しく見ていただいた方々との縁も大事にしていきたい。これからも、ずっと・・・・・。
12日(日) 「友達」
コロの遺骨は、四十九日頃に動物霊園へ預けようと思っている。そこで今日、霊園を見学させていただいた。納骨堂に入ると、特別納骨棚と一般納骨棚があり、数多くの動物達がゆっくり眠っていた。天気の良い日曜日と言う事もあるのだろうが、お参りに来る人が絶えなく、とても華やかだった。たぶん人間の墓地とは比べられない程だと思う。係りの方の説明もわかりやすく、安心して眠っていられる所だと思えた。さて、コロはどこで眠るのだろう。新しいお友達と仲良くやってほしい。
11日(土) 「夢」
今朝の寝起きは今までで一番辛かったような気がする。時々夢の中に登場するコロ、しかし今日の夢はコロがいない夢。今の現状がそのまま夢となった。夢の中でわたしは、コロが亡くなっているのにも関わらず家中を探している。当然見つかる訳はない。その事は夢の中のわたしも承知しているのに・・・。目覚めた瞬間、その事が大きくのしかかってきたようだった。
10日(金) 「メロン」
初七日にいただいたメロンを食べた。少しだけれどコロにも供えた。コロがいなくなってからはじめてのメロン。それはいつもと違う感覚だった。いつもの感覚は・・・冷たくて柔らかい所をコロにあげるので・・・わたしが食べる時には温かく固いメロンの部分。今日は、いつもならコロが食べている冷たい柔かなメロン・・・複雑な心境。コロ、おいしかったかな?
〜先日以降、気がついたお礼をさせていただきます〜
Yahoo!掲示板に書き込んでいただいた方々へ
「どうしたらいい?<障害猫」でお世話になっている
luck mamaさん,gatto di napoliさん、ありがとうございました。
「愛する猫の死))))」でお世話になっている
toru sskさん、ありがとうございました。
皆様のホームページでは
「 ぶんぶんのおもちゃ箱 」(ぶんぶんさんのホームページ)
何でも掲示板でのぶんぶんさん、きちさん、書き込みありがとうございました。
「 WHISPERING GALLERY 」(チビ亀さんのホームページ)
チビ亀TIMEでのチビ亀さん、にくきうさん、書き込みありがとうございました。
「 I LOVE 野良猫! 」(RYOさんのホームページ)
野良猫掲示板でのRYOさん、ニャー介さん、書き込みありがとうございました。
「 yukke’s website 」(ゆっけさんのホームページ)
DIARYにて「わたしのたからもの」の事を書いていただき、ありがとうございました。
いままでメールを送っていただいた方々をはじめ、様々なホームページでの書き込み、ありがとうございました。
〜お知らせ〜
「コロフレンド」等のお約束をしている方々へ、
お願いしている写真などは送ってください。何かを考えている事で、気が紛れますから・・・。
年賀状を出していただいている方々へ、
出していただいてかまいません。わたしも作成中です。(内容は以前考えていた物を変更しましたが・・・)
9日(木) 「眼」
時々、コロが眠っていた場所を気にして見てしまう事がある。ちょっとした音がしたり、今までの癖でつい見てしまう。もちろんそこには、何もないのだが・・・・・いや、もしかするとコロがいるのかもしれない。そんな時には、今までと同じ様に、コロと眼を合わせているのかもしれない。そうだったのなら、うれしい。
8日(水) 「観」
27から今日まで、見る気持ちになれなかったコロのビデオを見た。今年の9月から亡くなる数日前までのコロの姿だ。テレビの中の、そのコロの姿を冷静に見てみると、かなり弱っているようにも感じられた。でも、その時には気がついていないんですね。そろそろ「コロ記」を書かないと・・・。
7日(火) 「遠」
今日携帯電話を見て、ふと気がついた。つい先日まで、わたしの携帯電話には重要な役割があった。それは、コロにもしもの事があった場合の緊急連絡の為。着信時、画面に自宅の表示が出ただけで緊迫した日々。すでに十日を過ぎているが、今日気がついた事だった。わたしの携帯電話にはもう、あの緊迫感は無い。自宅から遠く離れた所へ行く事も苦にならなくなった。それは、もしもの時に帰る手段だとか、その時間などを考えなくてよくなったから。でも逆に、あの緊迫感が大切だったんだと思う。
6日(月) 「愛するという事」
燭台(ロウソク台)を新しい物にした。コロの遺骨を安置しているお盆、使っている香炉は以前からある物だったが、燭台は無かったので、今まで父の仏壇から借りていたのだった。これではどちらにも申し訳が無いので、昨日新しく購入した。コロが一番気に入ってくれそうな物を選んで。
先日、こんなお話しを聞きました。ずっとずっと昔、自分の子供を亡くした母親がいました。その母親は、子供の亡骸をおぶって、いろいろな人に「生き返らせてほしい」と願います。しかし誰も聞いてくれません。そこに通りかかったのがお釈迦様でした。その母親は、もちろんお釈迦様にも頼みました。するとお釈迦様はこう言います。「わかりました、生き返らせましょう。ただし条件があります。一人の死者も出した事の無い薬屋さん(現在の病院)で薬をもらってきてください。」母親はすがるような思いで、薬屋さんを何十件、いや数え切れない程に訪ねます。しかし・・・それは、現代のように医療が発達していても、死者を出さないと言うことは皆無に等しい事です。もちろん当時の状況では、そんな薬屋さんはありません・・・。とうとう最後の1件も駄目でした。どの薬屋さんも死者を出しています。母親は疲れ果てます。その時に母親は悟りました。人は必ず死ぬ事を。
お釈迦様が伝えたかった事。それは「子供は生きていないと愛せないのか、そこに存在が無ければ愛することはできないのか」という事だった。母親はその事に気がつきます。
わたしも気がついたような気がします。コロはいつまでもコロなんですね。たとえ存在は無くともコロは生き続けているのだと思います。わたしの心の中で、みなさまの心の中で。コロを愛する気持ち、愛していく気持ちは、今も昔も、そしてこれからも・・・・・変わる事はありません。
5日(日) 「にゃん」
父の墓参りに出掛けた。住職さんもコロの事を知っているので、亡くなった事を伝える。いろいろなお話しをしているうちに、だんだんと心が落ち着いてきたようにも思う。帰り、駐車場に車を止めて家まで歩いていると、チッコちゃんがやってきた。私よりも先に、階段を駆け上がって行く。コロの食事を選ぶように、チッコちゃんの食事を選んでいる自分がそこにいた。わたしに向かって、「にゃん」と鳴いてくれる存在がある事は、とてもうれしい。
4日(土) 「木洩れ日」
部屋の中に日向を見つけた。冬空の寒さから、太陽もあまり高くまで昇れなくなったのだろう。そしてその光は、今までコロが眠っていたところを照らしている。レースのカーテン越しのその光は、まるで森の中の木洩れ日のように優しく。 あと1週間・・・ 考えても仕方のない事だけど。 あったかな日向ぼっこができたのに・・・。
今日、良く行くデパートのペットショップへ寄ってみました。もちろん、何の用もないのだけれど・・・。先日、いつもコロの猫缶を購入する為に行っていたホームセンターに、別の用で立寄りました。気がついたらわたしの足は、ペットフード売り場で止まっていました。楽しそうにフードを選んでいる方を見て、うらやましく思いました。今日も同じです。買い物の途中に気がついたら・・・向かっています。わかってはいるのだけれど・・・感覚は違いました。夏からいるアメリカンショートヘアーの子、メインクーンの子、ベンガルの子を見ました。一番コロに毛色の近いベンガルちゃんとは眼が合います。でも、違うんです。コロじゃないんですね。眼も、毛も、何もかも。用はないのだけれど・・・気がついたら行っている、そんな自分に気づく今日この頃です。
3日(金・文化の日) 「いまごろ・・・」
悲しみに変わりはないが、連日続く殺人事件や事故のニュースを見ていると、静かに息を引き取ったコロは幸せなんだな、と思えるようになってきた。と同時に、悲しみは時間が過ぎた頃にどっと押し寄せてくるのでは、との不安もある。この1週間、何かある度に「先週の今頃は何をしていたなぁ」と振り返る事が多かったのだが、今日は特別だ。コロとの最後の1日だったから。あの時なぜもう少し一緒にいなかったんだろう。ああすれば、こうすればよかった。と振り返る度に思う。午後6時50分になった時、お線香を供え、コロが大好きだったマグロの赤身も供えた。お経も唱えていた。先週の同じ時間を振り返らない為に。
初七日を過ぎて、少しずつ変化があった。朝、ベランダで遊んでいる雀がいた。夕方、近所の野良猫チッコちゃんが玄関へとやってきた。コロが亡くなってから1週間は姿を見せなかったチッコちゃん。母になついている野良ちゃんだ。いつもコロが食べなかった食事を与えていた。今までは、それは母の仕事だったが、今日はコロに与えるようにわたしが準備した。チッコちゃんを家の中へ入れる事は考えていないが、玄関に来た時にだけ、食事を与えようと思っている。夜、コロが使っていたバスタオルを、わたしが風呂上がりに使うようにもなった。砂を食べているようだった食事にも、おいしさを感じるようになってきた。
家の中は今までとはあまり変わっていない。それは意図的に変えないようにもしている。必要が無くなってしまった物は片づけたが、コロの茶碗や箸はそのまま残している。ただひとつ決定的に違う事があった。残したくても残せない事・・・それはコロ。
2日(木) 「初七日」
日々はあっという間に過ぎていき、今日はコロの初七日となった。毎月2日は、平成9年1月2日に突然亡くなった父の月命日である。不思議な物で今日は、コロの初七日と父の月命日が重なった。ご近所の方にメロンを持って来ていただいたり、遠くの方がお花を届けていただいたりとコロのすごさを改めて実感した。
午後6時45分頃から、東京は雷雨となった。コロの為に冷凍されていたホタテを焼き、コロが一番好きそうな所を供えた。最後まで気に入っていた猫缶に、いつもの牛乳。プリンとチーズ、お菓子など、「コロお腹壊さないようにね」と言いながらロウソクに火をつけた。さっきまで騒がしかった雷がおとなしくなる。そのまま、ロウソクが消えるまでお経を唱える。
コロは今日、わたしの夢の中に出てきた。眠っているわたしはもちろん、コロがいない事を実感している訳でもなく、いつもと同じ様に眠っているコロの隣でわたしは眠っていた。ふと眼が覚めて夢だと気づくのである。その時のコロは、いつものコロだった。
コロが亡くなってから、皆様からたくさんのメッセージをいただきました。直接いただくメール、コロの事を報告させていただいた掲示板の他にも、わたしが記入していない掲示板に書いていただいたり、みなさんのホームページにも書いていただいたり、友人達に報告されてから気づくものもありましたので、まだまだ全てのメッセージを見ていないかもしれませんが、ここでお礼させていただきます。
Yahoo!掲示板に書き込んでいただいた方々へ
「どうしたらいい?<障害猫」でお世話になっている
vivuさん、erinoさん、OLDJEEPさん、kumitoraさん、lakitoさん、ありがとうございました。
「猫の名前」でお世話になっている
uta asさん、maorisさん、kumitoraさん、nov with adzkinaさん、ありがとうございました。
「喫茶ねこにゃん」でお世話になっている
nana04さん、obakatechi99さん、bunnyanさん、ありがとうございました。
「腎機能が悪い?!・・困ってます」でお世話になっている
stickyheadさん、patrasさん、ありがとうございました。
「老猫を飼われている方へ」では、わたしが書き込んでいないのに、ご報告とお悔やみをいただけた
furufuru takeさん、muku3380さん、lucknnpta3さん、ありがとうございました。
皆様のホームページでは
「 みゃおんのてちょう 」(myaoさんのホームページ)
掲示板でお世話になっているmyaoさん、チビ亀さん、ありがとうございました。
これからもあるすちゃん、ミミちゃんのお友達として、よろしくお願いします。
myaoさんがコロに逢っていただいた時のレポートも、スペースに余裕がありましたら、残してください。
「 アメリカンショートヘア・スタイリング 」(novさんのホームページ)
BBSでお世話になっているnovさん、こいんさん、おっきーさん、ありがとうございました。
これからもあづきちゃん、きなこちゃん、うずらちゃん、みぞれちゃんのお友達として、よろしくお願いします。
「 OLDJEEPさんのホームページ 」
トップページで、コロへのメッセージとお花の写真を送っていただき、ありがとうございました。
「 harpo’s web 」(hitomiさんのホームページ)
BBSでお世話になっているhitomiさん、CHICACOさん、ありがとうございました。
これからもはーぽちゃんのお友達として、よろしくお願いします。
「 TETOJARASHI 」(理子さんのホームページ)
掲示板でお世話になっている理子さん、yukiさん、ありがとうございました。
先日までトップページでコロへのメッセージ、
そしてMutterでコロの事を綴っていただきありがとうございました。
「 猫又博物館 」(猫又さんのホームページ)
ネコさん通信でお世話になっている猫又さん、ぶんぶんさん、nekoruさん、ありがとうございました。
徒然猫又日記では、コロの事を綴っていただきありがとうございました。
猫又通信号外で、皆様にお知らせいただきありがとうございました。
「 CAT HOSPITAL 」(CatOmbudsmanさんのホームページ)
BBSでお世話になっているCatOmbudsmanさん、高村加南さん、ありがとうございました。
そして、今回新たにメールを送っていただいた方々です。(リンク許可をお願いしておりませんが、お許しください)
「 Angel Heart 」(an2000さんのホームページ)
ダイアリーでコロの事を綴っていただきありがとうございました。
「 淡路猫町 」(ちびくうさんのホームページ)
淡路猫町談話室でコロの事を綴っていただいたちびくうさん、ルビままさん、ありがとうございました。
この他にも名前の公表は控えさせていただきますが、様々な所でお世話になっている、たくさんの方々からのメール。落ち込んでいるであろうわたしへの電話をはじめ、さまざまな心のこもったお気持ちなど、ありがとうございました。この他にもわたしが気づいていない事もあるかと思いますが、その場合は教えていただければ幸いです。又、うっかり忘れてしまっている事もあろうかと思いますが、お許しください。
皆様、ほんとうにありがとうございました。
そしてこれからは、ひとりの猫好きとして、時々皆様のお仲間に入れたらと思います。
尚、先日までコロの祭壇の写真を掲載する事はためらっておりました。正直な所、皆さんにご報告したい気持ちと、見世物ではないという気持ちが交錯していたのは事実です。今日初七日を迎え、気持ち的にも落ち着いてきた事。今までのインターネットでの皆さんとの交流から、今日の夢の中でコロが許してくれているような気がする事。遠方の方々が、少しでもコロの事を思い出していただける事を願って、今日のコロを掲載いたしました。
ぜひ、今日のコロに逢ってあげてください。「 今日のコロ 」
1日(水) 「道」
動物病院の休診日と表彰式に印の書かれていた10月のカレンダーをめくると、何も記入されていない、何も記入する事のない11月のカレンダーが顔を出す。あと65日過ごす事ができれば、無事に21世紀を迎えられたのに、と思う事がある。今世紀もあと少しとなった。
自宅玄関には毎月、コロのカレンダーを飾っている。その直前の写真の中から1枚を選びだし、パソコンソフトでカレンダーにして印刷した物だ。11月の写真は、先日の表彰状の物に決めていた。来月からの事は決めていないが、みなさんにお見せしている最後のコロが、この1ヶ月の間、玄関で見つめてくれる事だろう。
およそ2年ほど前になろうか、その頃から私には2つの夢があった。夢の中身を発表してしまうと、実現できない気がするので、ここでは黙っておこうと思う。ただ、そのうちの1つは、形を変えないと出来そうにないのだが、もうひとつの夢は、まだまだ可能である。これからは、その夢に向かって、まっすぐ進んでいくつもりだ。いつになるかはわからない、夢の実現に向かって。
だって、湖露の文字を見ていたら、コロが言っている言葉があるのだから。
〜雨が降った先には、1本の路が続いている〜 と。
<平成12年10月>
31日(火) 「蝋燭」
なんだかぽかんと、穴の空いた日々は続いている。皆様から送っていただく、たくさんのお手紙にかなり励まされているのではあるが、やはり愛情を注ぐ対象がなくなってしまった事は、わたしの一切の気力をも、どこかへ吹き飛ばしてしまっている。そんな今日、先日お世話になったペット霊園から1通の封書が届いた。「コロ号のお悔やみに際し・・・」の文章と共に、初七日から七回忌までの日付け、今後の事などが書かれていた。今の所の予定では、父がそうであったように四十九日までは、コロには家にいてもらおうと考えている。その後の事はまだ、考えがまとまっていない。その封書をコロのお骨の前に供えた。ロウソクに火をつけ、お線香も供えた。すこし時間が過ぎた頃、わたしの眼はそのロウソクの炎にくぎ付けとなる。すでにロウの部分は無くなりそうである。しかし芯には小さいけれど炎が残っている。その炎は何度か消えそうになりながら、また元の大きさに戻っていった。繰り返す事数回、とうとう炎は小さくなり、最後は点になったと思った所で、1本の白い線となり空へと昇っていった。それはまるで、コロのようだった。 (皆様へは必ずお返事をしますので、もうしばらくお待ちください)
30日(月) 「御禮」
ジャイアンツの優勝記念セールで賑わっている銀座のデパートへ出掛けた。野球にあまり興味の無いわたしの目的は優勝セールではなく、コロがお世話になった方々への、お礼を購入する為だった。コロが亡くなった後、数名の方々から、コロの葬儀に参加したいとの申し出があった。たった1匹の猫の為に、このように言っていただける気持ちはとてもありがたかったが、きれい好きのおんなのこであるコロは、たぶん自分のこの姿を他の人には見られたくないであろう。そして何よりも、コロは家族以外の人の事を嫌う節があったので、今回はお断りさせていただいた。ただ、うちへ来る事が負担にならないであろうご近所の方だけには、斎場から帰ったら来て下さいと付け加えていた。その、来ていただいた方へのお礼として、今回はわたしが大好きな和菓子屋さん「たねや」の商品を詰め合わせていただいた。この中にはコロが好きだったお菓子も含めた。そして、のし紙には「志 湖露」と。
その後、デパートの食品売場を少し歩いた。喉が渇いたので、フレッシュジュースを飲む事とする。注文は迷いも無く「メロン」だ。もう「コロに悪いから・・・」と言う気持ちはなくなっていて、逆に「コロおいしいよ」と言う気持ちになっている。その後、優勝セールで人だかりが出来ている店が何店かあったが、気にする事もなく店を後にする。以前だったら「コロが気に入ってくれそうな物はないかな」といろいろと探し回ったが、今はもうその必要も無い。家に帰りご近所の方へのお礼を済ませた後、母と一緒に動物病院へと向かった。
コロと一緒に通院した通りに、わたしが運転し母は後部座席へ。心の中で「コロ、お医者さん行くよ」とつぶやきながら、いつもと同じ道を進んでいった。今までは病院へ行く前には電話をしていたが、今回だけは突然お邪魔させていただいた。
わたしと母の顔を見たとたん、先生は「コロちゃん、よくがんばりました。あの日家内と話したんです。表彰をまるで待っていたようだって。全てをわかっていたのではないかと。最近は猫の寿命こそ伸びてはいますが、本来あれだけ小さくて、病弱で、神経質なコロちゃんでしたから、当初は10年生きられたら万万歳だと思っていました。猫の中でも20年を過ぎると言う事だけでもすごいのに、コロちゃんの場合は何度も危ない経験をしていますから、本当に考えられないんです。それだけすごい子でした。生きると言う事に対して。」
その後も先生との話しは続きました。コロの最後の様子、その時の対処法の事など。そんな中、出てきたお話しです。わたしが「まだまだ信じられない気持ちの方が大きいのですが、今考えて見ると当時は、まさか自分が31歳になるまで、コロが一緒にいてくれるとは思いませんでした。あの時は小学生でしたから。」すると先生が「コロちゃんは私(先生)がこの病院を開業して間もない患者さんなのです。私も既に60歳を過ぎていますから、コロちゃんがここまで生きていてくれる事は考えられませんでした。それだけに、今回は・・・」
わたしと母は「今まで本当にありがとうございました。」と深くお辞儀をした。たぶん、もう動物病院へ来る事は無いであろう気持ちも込めて。
すると先生は「また、お役に立てる事がありましたら、その時には全力を尽くします。」と頭を下げられた。この時の先生の声から、先生が泣いている事がわたしにはわかった。そして、二度と頭を上げずに、私達を見送ってくれた。
29日(日) 「変わる事、変わらない事」
27日までのわたしは朝起きると、コロの頭をなでて「おはようコロちゃん」と挨拶。そして、仏様と父の仏壇の水をベランダの植木に与え、新しい水を供えていました。昨日は忙しさで、母が代わりに行ったのですが、今日からは変わる事がありました。朝の挨拶は、コロの頭を・・・ではなく、コロの遺骨に・・・になりました。植木の水も、仏様と父の水の他に、コロの水も加わりました。仏様と父には、水道水を供えますが、コロには今まで飲んでいた、ミネラルウォーターを供えます。そして、先にコロの遺骨にロウソクとお線香を供え、その後に仏壇・・・。これが変わる事でした。まだまだ、たくさんあるのです。日常の何気ない瞬間に、ひとつひとつ気がつきます。ただ、変わらない事もあるのです。それは、コロへの挨拶でした。コロはいないけれど、もしかすると家の中に残っているコロの魂に。そして、コロの遺骨に。何かある度に、話し掛けています。これは、今までも、これからも変わらないかもしれません。
話し掛けの中で、こんな事がありました。10月上旬の事です。「コロ、兄ちゃんねぇ、しゅっしゅっぽっぽに乗ってくるんだ。」わたしが小学生の時に来たコロ。なので今でも、わたしはコロのお兄さんと言う事にしています。実はこの、「しゅっしゅっぽっぽ」とは、蒸気機関車の事でした。コロとの出逢いより前から、わたしは電車が大好きでした。その趣味から、いつかはSLに乗ってみたいという夢がありました。そして10月上旬にわたしは、そのSLの切符を手に入れます。うれしくて、コロに伝えました。そう、そのSLへの乗車日は、今日、10月29日だったのです。あまりにもうれしがるわたしを見たコロ。その前日に終わったコロの葬儀。今になると、SLの件をコロに伝えた事が悔やまれます。ただ、もしかするとせっかくの、コロの気持ちを台無しにしてしまうかもしれない。わたしはSLに乗車する事にしました。その迫力は、想像以上でした。SLに引かれる客車の動きは、普段乗っている電車とは別物でした。SLの運転席にも乗せていただいたり、その時間は楽しいひとときでした。
帰り、ふと時計を見ると、針が指していたのは午後6時50分。そうです・・・おとといの・・・。それからは駄目でした。頭から離れませんでした。コロが。
そこでわたしは考えました。この「今日のコロ」。すでに必要がなくなってしまったコーナーです。でも、これからも続けさせていただこうと、勝手に思っています。毎日ではないかもしれませんが、「今日のコロ・わたしのペットロス編」として・・・。たぶん、時間が解決するものだと思います。でも、先日までの習慣から、何かを書いていないと、どんどんと落ちていきそうな自分に気がつく時があります。なので、勝手に、続けます。これからも、「今日のコロ」として。
28日(土) 「コロ葬儀」
こんなに辛いものだとは、思ってもいませんでした。コロがいないだけで、こんなにつらいとは。
10歳のときから気がつけば31歳になるまで、20年と7ヶ月と7日、ずっと一緒だったコロ。悲しい時、辛い時、うれしい時、楽しい時、全部コロと一緒でした。でも、一番辛い今、その辛さを話せるコロがいない・・・。
数多くの写真とビデオ。しかしビデオを見る勇気もありません。今は薄っぺらのコロがいるだけです。
わたしだけじゃない。みんな別れは経験してるんだ。いろいろな言い訳を考えますが、ふと考えてしまいます。コロとの生活の事を・・・。誰もいないのに、「コロ、兄ちゃんごはん食べるね」「コロ、今ごろ何してるかな?」と話し掛けています。たぶん、しばらく続く事でしょう。急に「リセットボタン」は押せません。
午前0時過ぎ
だんだんと冷たくなっていくコロ。しかし固くなったのは頭と体だけでした。手や足、首などは動きます。掲示板などへの記入、メールの送信をしているうちに、時間はどんどんと過ぎていきました。と言うよりも、メールなどを書いていないと、涙がどんどんと出てしまうのです。メールは気を紛らわせる為の手段となっていました。コロの隣でコロと話したり、いろいろな事をしていると、空は明るくなってきました。ちょうど鳥が「ピーッ」と鳴きます。「ケーちゃん、鳥さんが飛んでるよ」と話しました。
午前6時
既に日の出をした東京。わたしはいつものようにコロの両手を、自分の右手で包み、コロを温めるように横になりました。12時間前、同じように過ごした6時55分を迎えるまでの、およそ1時間。コロと見つめあい、話しながら過ごしました。
午前7時
棺に入れる物を考えます。いつも敷いていた花柄のバスタオル、いつも掛けていた花柄とくまさんのバスタオル、ささみとなまり節を湯がいて準備、カニカマも用意します。喜んで遊んでいたねずみさんには、コロについていってもらうことにしました。
午前9時
動物霊園に連絡。今日、立会いでの火葬の予約をします。家からの出棺は正午、火葬は午後1時、埼玉県の谷塚斎場と決まります。コロを一人にしないよう、母とわたしは交互に出掛け、今日必要な物を購入してきます。
午前11時45分
霊園の方が来ました。棺にバスタオルを敷き、コロを寝かせ、寒くないようにバスタオルを2枚掛けます。コロの腕には数珠をかけ、口元にはささみとなまり節、かにかまを置き、手の側にねずみさん。花で囲んで出棺です。
霊園の方にわがままを言い、コロはいつも病院へ行くのと同じ様に、わたしの運転のわたしの車のいつもの席に載せました。
午後1時
斎場で最後のお別れ。「コロありがとう」いろいろと話しました。そして棺のふたをしめ、人間の火葬と同じ様に、コロの棺は釜の中へ。扉が閉められ、釜の前の祭壇で、コロの写真を見ながらお焼香をしました。
午後1時40分
コロの火葬は終了しました。コロは骨だけの姿になっています。職員さんのお話しでは、年齢の割に骨がしっかりしているそうです。確かに立派な太い骨。薬を飲んでいたにも関わらず、奇麗な骨でした。母とわたしはお互いの箸で骨を1本づつ拾い、骨壷へ入れました。その後、職員さんの説明の元、喉仏と頭の骨を入れ、ふたが閉められました。小さくなったコロが眠る骨壷は、思ったよりも重かったのです。再び、コロと一緒に、車で帰りました。
午後3時
小さくなったコロは、自宅に到着しました。さっきまでとは違う姿で。お線香にお水、猫缶やプリンやチーズに牛乳。ご近所の方からいただいたお花などに囲まれて、コロは今までより高い所で、落ち着いて眠っています。わたしは「般若心経」を唱え、コロに手を合わせました。
コロが今まで眠っていた所には、今は何もありません。何も気にする事なく、歩きます。ただ、気がつくとそこを、見ている事があります。コロが引きつけているのかもしれません。そして骨壷に、いろいろと話し掛けています。
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