このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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1月末の3週(
これ
と
これ
ね)に渡って、“粕取り王国”日田市における粕取り焼酎の今をレポートした。その際に浮き彫りとなったのが、日田市では今でも日常的に粕取り焼酎を飲むと言う現在進行形の時間の移ろいであり、クンチョウ酒造の『
三隈
』という“地元生活酒型”粕取り焼酎の存在であった。かつての“粕取り王国”である筑前では、到来した焼酎ブームによって
杜の蔵
さんが粕取り焼酎の蒸留を復活させてニュースにも取り上げられるなど、明るい話題を振りまいていた。しかし、県境を越えてすぐの大分県日田市ではそのような筑前の粕取りフィーバーなんてかまうことなく、粕取り焼酎を飲み続けていたのである。
前回、
井上酒造
さんの『大海』は確保したのであるが、
老松酒造
の『まるき』という粕取り焼酎は経済的且つ家庭内のパワーバランス的な理由から購入を見送ったのだった。その後なかなか時間が取れず、再びの日田アタックは実行できずにいた。そのような状況の中、大分焼酎の水先案内人である
酎州大分さん
は逐一現地の酒類情勢をご自身のブログによる紹介だけでなく、掲示板等への書き込みを続けてくださる・・・。私が某店で確認した主標的である“まるき”も店頭在庫が1本、また1本と消えていく。 そのようにして一人焦っていたのであるが、ある日荷物が届いた。
開けてみると焼酎が2本。1本は既に廃業したという国東の『豊の誉』の粕取り。そしてもう1本はなんと!!!『まるき』だったのですね。
ぐぉぉぉぉぉぉ・・・・・っ!!と思いましたよ。本当にこの白ラベルの焼酎が欲しかったのだ。酔州大分さんには心から感謝いたします。
・・・とここで日田行きの大きな名目が無くなってしまったようかに覚えるのだが、言われてみればそうだ。だが、せっかく妻に許してもらった遠方へのドライブを見逃す手はないのである(爆)。
ここのところの市町村合併によってかつての境界という物が訳分からないものとなっているわけだが、ここ大分県でも例外ではない。2005年の4月1日現在で9回もの合併・編入が県下どこそこで行われているのである。
県外人としては頭の中の地図と実際が一致せず、時折混乱することとなった。
切株山を望む玖珠町では今のところそのような話とは無縁のようだが、玖珠町で昔から造られていた亀の井酒造の粕取り焼酎『
亀
』は既に店頭在庫を見ることが出来なくなっていた。蔵元の以前の話では「造る予定はない」ということであったから、この銘柄は過去帳入りしてしまったのだろうか・・・。休憩がてら立ち寄った町内の酒屋では、「『亀』?もう造ってないよ。今は粕取りを飲む人も減って、たまに『鹿の子』が売れているかなぁ・・・。』と店主が言う。ちょうど今くらいの季節はよく売れていたとのことであるが、よく考えれば“早苗饗(さなぶり)”の季節であった。振る舞い酒の習慣が残っているのだろうか。
そう考えると、なるほど。玖珠盆地には水をぱんぱんにたたえた水田が広がっていた。 国道202号線から日田市へ入る。今回は町の中心部とは逆の三隈川の対岸地区へ入る。
この店でも『三隈』は店頭化されているのだが、その他の粕取り焼酎の銘柄は見あたらなかった。
女将さんが対応してくださったのだが、ちょっと興味深い話を聞くことが出来た。
それは粕取り焼酎『大海』に関する情報である。このお店でも取り扱いはあった。しかも店頭から消えてそう時間が経っていないというのだ。
女将さんの詳しい話によると、井上酒造の『大海』は未だに現役であり、ここ数年は蔵元が出来た焼酎に対して納得されておらず、しばらく貯蔵されているという。てっきり過去の焼酎と思っていただけに、これには驚いた。以前、
猛牛師
が日田に行かれた際(
「粕取『大海』、健在なり!」
を参照してください)に、実際に蔵の関係者から聞いた「今も造っていますよ!」発言は事実だったのでは無かろうか。単純に店頭から姿を消してしまっているだけで、出荷出来る体制が整えば、生の『大海』に会うことも可能なのかもしれない。・・・とは言っても日田市の多くの酒屋が「もう造っていない。」と言っている事実もあることから、情報収集の余地は十分残されている。これは再度日田行き決定の予感だ・・・。ちなみに、老松酒造さんは既に粕取りの製造を止めていることは証言から間違いないようで、『まるき』は絶版にカテゴライズされてしまうこととなった。
ちなみに、老松酒造のある日田市大鶴地区から離れた日田市内においても『三隈』を愛飲される人、『大海』や『まるき』を愛飲される人と人それぞれであったそうだ。良く消費される季節は、やはり今からの季節。見事に早苗饗での利用、暑気払いのため・・・という飲み方に符合している。 前回の粕取り探査の折、『大海』を購入することが出来た酒店へと向かった。日曜日であったので営業を行っているのか不安であったが、シャッターは下りていない。今回は、そのなんだ。当店で確認した“老松酒造の粕取り”を量り売ってもらおうというわけ(爆)。
前回は量り売り用の瓶を切らしていると言うことであったから、今度こそ・・・と期待していたのである。だが、今回も瓶はありませんでした。今度は瓶持参で行くかなぁ・・・。
「粕取り焼酎はにおいが良くてねぇ・・・。」としみじみ話されるおばぁちゃんに再訪を約束し、蔵のある大鶴の方へ向かってみることにした。
“まるき”を造っていた老松酒造。
最近は『田舎粕取り焼酎 偏骨屋』というカストリの新製品も発売している。
タンクの在庫を商品化した物だろうか・・・。
老松酒造より大鶴集落の方向を望む。
井上酒造の門前に車を停めたのだが、入り口にはタイガーロープが張られている。さすがに日曜日だ。人影などは全く見られない。蔵人との偶然的な出会いなどあって、『大海』の情報でも仕入れようと思っていたのだが、思うように行かないものだ(爆)。
同蔵の主力麦焼酎であった『麦と兵隊』の看板を撮影したりしてしばらくその場所で過ごしていたのだが、まあ、とにかく前へ進もうかね。
大鶴駅前の民家が固まった辺りを抜けて、大鶴集落の中心部へと入っていった。
集落で休日にもかかわらず店を開けていた一軒に入る。
店内は広いが、酒類、殊に焼酎を扱う棚は店の隅っこの方に追いやられていた。さすが清酒圏とでも言おうか。『角の井』、『老松』、『薫長』と地元蔵元の全銘柄がそろい踏みだ。焼酎が並ぶ棚には大分の減圧麦焼酎、鹿児島の芋焼酎、そして何故か『黒霧島」・・・。
その中には『三隈』の姿ですら粕取り焼酎の姿を見つけることが出来ない。棚の奥の方に転がっているかと探したが、有るのは甲類焼酎の1升瓶だ。そうこうゴソゴソしていると、店主が怪しむ目で出ていらっしゃった。
粕取りについて伺ったのであるが、少なくともこの酒店では昔から粕取り焼酎と言えば『大海』なのだそうだ。昔ながらの風味を「香りがよい」と集落の人が買っていくという。その『大海』も造りを辞めたというわけではなく、「蔵元が在庫を切らしているだけ。」と教えてくれた。
・・・その店から日田市内へ戻り、温泉街でまだ入ったことの無かった酒販店を数件見る。「人気がない。」と店頭化していない店もあったが、ほぼ全店で『三隈』は棚を飾っていた。高濃度の35度も動いている様子が陳列棚から観察できる。皆さん、やはり梅酒でも漬けられるのでしょうね。
そうしてクンチョウ酒造にて吟醸酒アイスを味わったあと、宮崎へと戻ることにした。ちょっと遠回りして杖立から黒川へと抜けたが、もと日田郡大山町であった付近まで『三隈』が流通しており、それ以外の2つの銘柄もかつては愛飲されていた事実を知った。
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日田市街地を去る直前に入った酒屋の光景。焼酎棚の前にて観察していた私の前をランニングシャツのじいちゃんが通り過ぎていく。刹那、透明の焼酎瓶を2本両手で掴んだかと思うと、レジで支払いを済ませて店を出ていった。その瓶は『三隈』。私のような外部の人間を笑い飛ばすかのようなごく自然な行動であった。何ともあっけにとられてしまったのは言うまでもない。
(05.06.09)
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