このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「七人同志・埋葬地」


 
一揆の首謀者が打ち首獄門にされた後の、首の無い亡骸は、係わり合いになるのを恐れた人々のためどこにも受け入れてもらえなかったそうだ。

七人(八人?)の亡骸を船に積み、荼毘に付してもらえるところを捜して海岸沿いを移動したが、丸亀京極藩の領内ではどこも受け入れてもらえず、王越を廻って高松藩領の生島まで来て、やっと地元の人々の好意により、荼毘に付され、埋葬されたという。

その地は七人童子にちなんで、童子が浜と呼ばれているそうだ。


「郷土史事典 笠居郷探訪 第2版」(立山信浩著、2014.7.8発行)に、童子が浜・東生島の墓地・薬師堂について詳しい解説があります。









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