このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「七人同志」


 
寛延3年(1750)1月に起こった百姓一揆では多度郡三井村や碑殿村が中讃勢の結集地となった。


七人同志の碑
(七人同志之内 甚右衛門之碑 大正十四年十一月建之 弘田石工 杉峰儀市)偶然トンボがとまっています。
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背面


賛助員 (碑面を縦にほぼイロハ順、誤読があればご容赦)
 石原小治郎 乾 金治郎 伊藤玄春 和泉謙二 岩本岩吉
 長谷川八郎 岡田而住 大喜多友八 小山良太郎 尾崎佐五郎
 岡崎榮治 尾崎德治 大島喜平太 大塚甚吾 龜野敏三郎
 渡邉宗吉 渡邉榮作 亀山萬壽夫 神原龜吉 亀井勇八
 龜山佳吾 亀野利八 神原又四郎 横田雄八 吉本幸造
 横関慶太 高橋宗三郎 谷田友八 建林泰祐 竹森節治
 竹森角太郎 瀧岡恒太郎 村井八十治 村井岩吉 村井幸造
 村井佐辨 氏家一郎 山地岩太郎 山地安治郎 山地善吉
 藪内吉右衛門 山地壽一 山地義一郎 山下勘太郎 松浦英治
 松岡慥爾 丸尾能造 福井竹五郎 藤岡政太郎 安藤利藤太
 佐保山貞右衛門 佐柳杉右衛門 佐柳鶴吉 木谷松三郎 三野氏太郎
 三宅久吉 渋谷武雄 塩田榮吉 森 萬治 関 源太郎
 森 岩之助
 

發起人
 森 利之助 大塚千太郎
當事者
 森 伴吾

礎石

刻字 (石 寄附者 村森■吉)・・・白字は判読難
崩し方からみると、森極吉(むねよし or むねきち)か?

建立計画では、次の碑文を碑の背面に刻んでいた。しかしこの内容は地主側に不利であるとして、削り落とされて、現在の発起人氏名に書き換えられたそうである。
吉原町碑殿町の古跡めぐり 」や「 本村のあゆみ 」に記事があります。
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大正14年11月にも、小作人と地主との間で重税に苦しむよく似た金蔵寺事件が起きているが、記念碑を建てたのは昭和に入ってからのようなので、金蔵寺事件の方は 碑文 が刻まれている。





七人同志  解説   仲多度郡史   西讃七義士傳   さまよう怨霊?   一揆の経緯   説明板   埋葬地   童子が浜   大西権兵衛神社   三井の金右衛門

善通寺   曼荼羅寺   出釈迦寺   禅定寺   鷺井神社   東西神社
我拝師山   天霧山   片山権左衛門   月照上人   乳薬師
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