このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「七人同志」


 
寛延3年(1750)1月に起こった百姓一揆では多度郡三井村や碑殿村が中讃勢の結集地となった。

(こんな記事を見つけた) 処刑された七人は亡霊となって歩き回っていた?
だが、吉原の旧伊予街道沿いで育った私は、七人童子(=七人同志)の話は石碑もあって子供の頃から聞いていたが、亡霊の話は記憶にない。もうそんな噂も消えた頃に生まれたのか、それとも吉原に七人童子の亡霊の話はなかったのか?

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Wikipedia等のインターネットを検索してみるとおもしろい傾向が見えてきた。;

七人同行(しちにんどうぎょう)は、香川県に伝わる集団亡霊。
人間と同様の姿の7人組の亡霊で、常に一列に並んで歩いている。非業の死を遂げた者たちの霊ともいい、人間がこの七人同行に行き遭うと死んでしまう、投げつけられるなどといわれる。
通常は姿が見えることがないが、牛の股間から覗くと見えるという。ある人が牛を連れて歩いていたところ、四辻で急に牛が立ち止まったので、股間から覗いたところ七人同行がおり、難を逃れる ことができたという伝承もある。また、耳を動かすことができる人にも見えるともいう。

同様に四国の7人連れの霊として知られるものに、七人ミサキがある。


七人童子(しちにんどうじ)は香川県仲多度郡多度津町などに伝わる妖怪。
七人同行と同じく7人組の集団で、童子姿のものをいう。四辻を丑三つ時に通ると現れるという。七人童子が現れる四辻は特定の箇所だとされ、そこには人が通らなくなったといわれている。
徳島県板野町では、かつて阿讃山脈から七人童子を連れた首切れ馬がやって来ていたが、あまりに恐れた人々が供養のために地蔵を建て、これらの妖怪が現れなくなったという。
香川県では、発音は同じで表記の異なる七人同志という怨霊の伝承もある。7人連れの蓑笠姿の霊が夕方の雨の中を歩くもので、これに行き遭うと気分が悪くなるので、家に入る前に箕で扇いで もらうという。正体は寛延年間の農民騒動で処刑された7人の霊といわれる。


行逢神、行き逢い神(ゆきあいがみ、いきあいがみ)とは、人や動物に行きあって災いを成すとされる神霊の総称。日本全国各地に怪異として伝わっており、特に中国地方、四国に多い。
山中などの野外で天気も良い上に風も無いのに、わけもなく急に寒さを感じ、ときには発熱したり気分が悪くなったりすることを、行逢神に遭ったという。場合によっては怪我をすることもあると いう。これを治すための呪法として、島根県簸川郡大社町(現・出雲市)では焙烙をかぶせる、岡山県や四国では箕で扇ぐなどの方法が伝わっている。また人間だけではなく牛や馬も行逢 神に遭うといい、この場合は尾の先端を少し切って血を出すとよいといわれている。
行逢神の正体はその場所によって山の神、水神などと考えられ、ときには便所の神といわれることもある。非業の死を遂げた人間の怨霊が行逢神になるとする考えもある。

西日本では、神霊の先鋒の役割を持つ霊的存在であるミサキがこの行逢神とされており、ミサキに遭うと即死するとまでいわれて恐れられる。同じく西日本で知られる、人に飢餓をもたらす ヒダル神もまた行逢神の一種である。


金神(こんじん)とは方位神の1つである。
金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、特に土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで 殺される(これを七殺(ななさつ)という)と言われて恐れられた。
金神の中でも、「うしとらの金神」は「久遠国」という夜叉国の王である巨旦大王の精魂とされる。巨旦大王の眷属の精魂も(普通の)金神と呼ばれる凶神となっている。
またその精魂の抜けた屍は牛頭天王によって5つに引き裂かれ、五節句に合わせて祭った(巨旦調伏の祭礼)。


以上から、いろいろな伝承が混同されているという気がします。我が家では母親から「行き逢い金神」として教えられていました。子供の頃便所が外にあり、便所を済ませて 家に入ると急に気分が悪くなり、血の気が失せていわゆる貧血状態となることがたまにありました。
母親は行き逢い金神に出会ったのだ、と言って、家の入口で箕(み)で扇いで治してくれていました。金神は季節によって居場所が変わり、一昔前の暦には時季毎の金神の居場所が書かれていました。
ちなみに大人になってトイレも最新のものに変わっても、トイレを出ると急に貧血状態になることはある。特に冬の飲酒後には多い。

箕


七人童子怨霊説の続編記事が出ていました。
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更に続々編記事が出ていました。

吉原の碑 になっており、「七人童子之内」と表題がついている、と書かれていますが、雑な記事ですねぇ。
吉原の碑には「七人同志之内」とはっきり書かれています。記事は読み間違えています。
どうやら 明石安哲 という人は雑な人でしょうか。
吉原の記事には妖怪伝説が出てこないのは評価できそうです。

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更に続々々編記事が出ていました。七人分出るのでしょうか?

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七義士の亡霊伝説!?聞いたことがないと思っていましたら、どうやらこの新聞記者にだまされていたと思われます。
吉原 西行庵 の記事で、この記者はありもしないことをでっち上げる記者であることが発覚しています。
七義士の亡霊伝説も聞いたことがないので、おそらくこの記者が、ネットにあるような七人同行・金神などを勝手に七義士に結び付けて、ありもしないことをでっち上げている可能性が大である。





七人同志  解説   石碑   仲多度郡史   西讃七義士傳   一揆の経緯   説明板   埋葬地   童子が浜   大西権兵衛神社   三井の金右衛門

善通寺   曼荼羅寺   出釈迦寺   禅定寺   西行庵   人面石   鷺井神社   東西神社
我拝師山   香色山   天霧山   片山権左衛門   乳薬師   月照上人   牛穴   蛇石

香川県善通寺市吉原町  トップページへ


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