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一揆の経緯
1月 | 14日 | 夜、多度津藩領村々に捨文 丸亀藩領三野郡百姓より廻状—20日までに金倉川へ集合 |
15日 | 昼、三井組蜂起—天霧山集合 夜、多度津藩、大庄屋須藤猪兵衛を閉門処分 | |
18日 | 多度津藩御用人より多度郡百姓へ解散を促す文書 この間、多度郡各村ごとに願書(要求書)提出 丸亀藩領豊田郡百姓より廻状—集合場所を本山へ変更 | |
20日 | 丸亀藩領惣百姓蜂起 岡本村庄屋太郎兵衛宅、坂本村米谷四郎兵衛宅打ちこわし 丸亀藩から御用人三田茂左衛門、地方奉行斉藤石右衛門、大目付加納又右衛門、 地方奉行庄伝右衛門ら武士団百余人が駆けつける →明日、本山寺で願書を出すようにと伝え、引き揚げる 那珂郡・多度郡一揆勢、吉原山へ集まる(三井組一揆勢と合流?) 大庄屋山地平八郎の林の木を伐採し、篝火を焼く 善通寺生野村庄屋金八宅へ300人ほどが押しかける→藩役人が駆け付ける (打ちこわしが実施されたかどうかは不明) | |
21日 | 一揆勢、本山寺に引き返す→朝六ツ時武士団駆け付け、一揆勢と問答 一揆勢、願書は4郡一緒の願いであり、那珂郡・多度郡が一緒にいない時点で 出すことはできない旨を伝え、善通寺へ出向くことを約束する | |
22日 | 巳の刻、鳥坂で三野・豊田勢と那珂・多度勢合流→善通寺へ向かう | |
23日 | 早朝、那珂・多度勢、善通寺村庄屋助四郎宅を打ちこわし 誕生院客殿において、丸亀藩使者(御用人三田茂左衛門、地方奉行斉藤石右衛門ら)と各村代表1名ずつの交渉 →藩側の回答(10か条即時受け入れ、3か条は追って沙汰)を一揆勢了承 →各郡に一通ずつの聞届書が渡される 夜五ツ時、一揆勢善通寺を退散 | |
25日 | 多度津藩については万事丸亀藩の聞届に準ずる旨の覚が出される (この間、1月20日に幕府より、幕領・大名領に強訴禁止令出される→丸亀・多度津両藩には2月に入って伝えられた) | |
2月 | 11日 | 多度津藩、23日の聞届を反故にする旨の通達 (丸亀藩はこの少し前に同様の通達) |
7月 | 末 | 一揆首謀者に判決→刑の執行 (大西権兵衛とその子息、他) |
8月 | 上旬 | 丸亀藩、13か条の一部を承認する処置を実施 |
藩 | 郡別 | 村別 | 死罪 | 永牢 | 追払 |
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丸亀藩 | 三野郡 | 笠岡村 | 8 | 1 | 23 |
大野村 | 1 | 3 | |||
新名村 | 1 | ||||
上勝間村 | 1 | ||||
麻 村 | 1 | ||||
同 | 豊田郡 | 下市村 | 1 | ||
辻 村 | 1 | ||||
同 | 那珂郡 | 帆ノ山村 | 1 | ||
同 | 多度郡 | 大麻村 | 1 | ||
多度津藩 | 多度郡 | 三井村 | 1 | 7 | |
碑殿村 | 1 | 1 | |||
計 | 12 | 1 | 40 |
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