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8・18の政変
で朝廷や幕府から高い評価を得て、朝廷より”新選組”の隊名を賜ったこの頃、
新選組の隊旗が作られた。
かつて、
清河八郎
が
新徳寺で浪士組結成の真の目的
を演説した直後の近藤の発言について、
次のようなエピソードがある。
「清河の行動をみていると、策を巡らせ強引に推し進めたあとが見える。
向こうは才でくる。 こちらは誠実をもってこれにあたる。
はたして、軍配はどちらにあがるだろうか。」
このような近藤の思いを反映してなのか、新選組の隊旗には、大きく”誠”の文字が
染め抜かれていた。
この隊旗を屯所の前で、沖田総司たちが大はしゃぎでかわるがわる振っていたと
八木家
に
伝わっている。
また同じ頃、隊士の規律を保持するために「局中法度」といわれる隊規が近藤や土方によって
制定された。
局中法度書 一、士道ニ背キ間敷事 一、局ヲ脱スルヲ不許 一、勝手ニ金策致不可 一、勝手ニ訴訟取扱不可 一、私ノ闘争ヲ不許 上条々相背候者切腹申付ベク候也 |
この”鉄の掟”といわれる「局中法度」の実質的な番人となったのは土方である。
そのため土方は、「鬼の副長」といわれるようになる。
この厳しすぎるともいえる「局中法度」により、後に新選組では数々の粛清がおこなわれる
ことになる。
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