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「スマイルトレイン」の笑顔は西武鉄道を変えたのか?

- 「西武事件」での同族世襲経営の崩壊による「外部からの経営改革」が西武を如何に変えたのか? -



TAKA  2008年04月02日



  


西武変革の胎動か? 左:スマイルトレイン30000系@小手指車両基地 右:新たに変更された西武鉄道の制服&マーク@小手指




 ☆ ま え が き


 「西武鉄道」こう言えば知らない人は居ないでしょう。
 日本で「阪神」と並んで有名な鉄道企業グループであり、「西武鉄道・西武百貨店・西武ライオンズ」等の西武ブランドを冠した企業は色々な人に知られています。同時に「西武」ブランドを冠していなくても、軽井沢72ゴルフ場・苗場スキー場等のリゾート施設は有名ですし、日本最大級のホテルチェーンプリンスホテルも西武グループです。
 この様な規模から見て、西武グループは「日本で有数の民鉄を核にした企業集団」と評しても過言では有りません。

 その西武グループがここ数年その経営を巡って大きく揺れていました。
 西武グループ自体、対外的には華々しい活躍が目立っていたものの、創業者堤康次郎氏死去後の創業家内部の骨肉の争いで、互いに資本関係の殆どない西武百貨店を中心とする流通系の「セゾングループ」とコクド(旧国土計画)を中心とする西武(鉄道)グループに分裂して居ました。
 その2つの西武グループもバブル崩壊後の景気低迷の中で多くの混乱を経験しました。流通系のセゾングループは、TCF(東京シティファイナンス)と西洋環境開発の処理で実質的に解体し、西武百貨店は最終的にセブン&Iグループ傘下に西友はウォールマート傘下に入るなどの「流転と解体の歴史」を辿る事になります。
 その後、「西武の本丸」といえる本体の西武(鉄道)グループに「止めの一撃」として発生したのが「 西武鉄道有価証券虚偽記載問題 」に端を発する、所謂「西武事件」(「西武事件」とは、04年3月の「総会屋利益供与事件」から06年3月の「西武グループ再編完了」までの事柄を総称しています)が発生し、その結果西武(鉄道)グループは創業家の2代目堤義明氏を追放し堤家との資本関係を希釈化させた上で、サーベラス・日興グループ系と言う投資ファンドの出資を受けて、事業再生への道のりを歩みだしています。

 生まれてからずっと西武線沿線に住んでいる私には、「西武鉄道」は一番身近な鉄道会社です。当サイトでも色々論述している私の鉄道趣味と鉄道会社の経営分析に関しても、西武鉄道が全ての根元になっている事は間違い有りません。
 丁度私が鉄道趣味から鉄道会社の経営論に興味を持った時期である1980年代後半は、今は完全否定されている西武鉄道と堤義明氏の経営手法が絶賛されていた時期です。(参考文献でいえば「西武VS東急戦国史 上・下」を買って読んで居た時期)その当時はまだバブルの直前の比較的恵まれた時期で、堤義明氏率いる西武グループは「土地の莫大な含み益」「列島改造論時の土地狂乱に乗らなかった」「二代目の堤義明氏のプリンスホテルの成功・西武ライオンズの成功」「堤義明氏の西武鉄道グループと堤清二氏のセゾングループの発展と堤家の骨肉の争い」等々が世間の注目を集め、特に西武(鉄道)グループを率いていた堤義明氏は「鉄道経営・土地経営・二代目経営の模範生」として褒め称えられていました。
 現在では私も小さいながらも父の創設した会社を「長男である」と言う理由で継ぐ事になり、6年間勤めた会社を辞めて親の作った会社の役員として経営の最前線に立っている立場です。現実としては「長男だから」と言う意識で子供の頃から「会社の跡を継ぐ」事を潜在意識の奥底に刷り込まれており、その様な事もあり年齢不相応でありながら「身近な大企業の世襲経営」に興味を示し色々調べたりしていました。
 その様な視点から考えても、「世襲の成功例」と持て囃された西武(鉄道)グループに襲い掛かった「西武事件」は経営的に見て非常に興味のある内容です。何故「成功例」と持て囃された西武グループがこの様に挫折し困難に突き当たり、今回の「西武事件」の様な物を引き起こしてしまったのでしょうか?
 今回は私の今までの「経営論研究の総括」という意味合いを込めて、「西武鉄道」の経営とその再生を取り上げて見たいと思います。


 ☆ 「特徴的だが特異?」過去における西武鉄道の状況と「西武事件」を振り返る

 ● 過去においては特異な企業統治形態であった西武グループ

 過去において西武グループの企業集団としての形態は、民鉄の企業集団として見た場合、極めて特殊な企業集団の形態となっています。
 現在JRグループを除く大手の鉄道事業者といえる 大手民鉄16社 の中で、「実質的に経営を支配する親組織が有る」と言うのは西武鉄道・阪神電鉄・東京メトロだけです。
 しかし阪神電鉄の場合「村上ファンド騒動」でホワイトナイトとして登場した阪急電鉄に統合されたという特異な状況で、東京メトロも株式会社形態になったばかりで大株主は国と東京都だけという「特殊会社」です。ですからこの2社は「特異な事例」といえます。しかし西武鉄道・東京メトロ以外の大手民鉄各社は、企業集団として頂点に上場会社の「鉄道会社」「鉄道会社が元になった純粋持株会社」が存在し、その会社の下に鉄道会社・百貨店・バス会社・不動産会社等の子会社・関連会社が連なる企業統治形態となっています。
 けれども西武グループの場合は普通の民鉄企業集団とは企業統治形態が大きく異なります。「大手民鉄グループの一般的な企業集団統治形態」と「西武鉄道の資本支配形態」について下記に示しましたが、西武鉄道の場合「親会社が鉄道会社で、鉄道会社が中心となりグループを統治する」と言う企業統治形態では無く、西武鉄道の場合、実質的には「西武鉄道株64.8%を握るコクドが支配権を握って居る」と言う事です。要は上場の鉄道会社である西武鉄道は、不動産・リゾート企業であるコクド(旧:国土計画)の子会社に過ぎないと言う事です。

 「参考図」[ 大手民鉄グループの一般的な企業集団統治形態 ][ 西武鉄道グループの企業統治形態 ](どちらの図も2006年5月にTAKAが作成)

 この様な「不動産会社が鉄道会社を支配する」「非上場会社が上場会社を支配する」という特異な企業支配形態の為に、西武グループの中での西武鉄道の役割は「西武鉄道子会社(コクドから見ると孫会社)の統括」「コクド及びその子会社のプリンスホテルの資金・資産供給機能」と言う役割でした。つまりコクドに資本的に支配されていた為に、コクド・プリンスホテルの事業の後ろ盾として利用されていたという事が出来ます。
 実際資料(8)P28の「主要な設備不動産賃貸業」に計上されている資産(品川・高輪・赤坂等のプリンスホテル)は、殆どがプリンスホテルへの「不動産賃貸用資産」として計上されています。つまりプリンスホテルはコクドの100%子会社(実際はコクドの都市ホテル運営部門)であり、その事業の為に西武鉄道が土地を買い建物を建て、西武鉄道とは直接資本関係の無い兄弟会社のプリンスホテルに貸して居ます。この時正当な価格ならいざ知らず、不当に安い価格で賃貸借の契約が結ばれていた場合、西武鉄道からプリンスホテル(及びコクド)へ収益が流れて居る事になり、上場会社の西武鉄道利益が遺失されて居る事になります。この様にコクドとその直接子会社へ「不等に安い賃貸借料」という形で利益が流れ、それにより供給された資産・(利益という名の)資本余力でコクドやプリンスホテルが潤っていた可能性も有ります。
 加えて、グループ統括会社のコクドを資本・資金的に支えて居たのが「上場会社の西武鉄道株保有」です。コクドが持つ西武鉄道株は「西武事件前は48.6%」で「実際は63.8%」と言う高い比率で保有されていました。この株に関してコクドの簿価は非常に低く西武鉄道株が上場当時は大手民鉄の中でも比較的高値だった事から、コクドはこの株を担保に入れ銀行から資金を調達していましたし、西武鉄道自体も「鉄道会社の信用力」を背景に銀行から資金を調達しそれがグループ事業へ直接・間接的に廻っていた事も有ると聞いています。、
 この様に見れば、上場会社で鉄道事業で日銭を稼ぎ社会的信用力がある西武鉄道を、コクドを中心とする西武グループが如何に上手く活用していたかが分かります。要は上場会社である西武鉄道が非上場の親会社のコクドに「奴隷のように使われていた」という事になります。

 この様に西武グループでは「他の民鉄では見られない企業統治形態」が取られてきましたが、これこそが西武グループの考え方を示す物です
 では何を示しているのか?それは「(1)西武グループは結局鉄道会社ではなく不動産がメインの会社」「(2)同族会社であり堤義明氏に依るワンマン経営という極めてクローズな環境で運営されて来た会社」と言う事です。今から見ればこの様な西武グループの企業統治形態は、鉄道会社としては特異な経営でしかも前近代的な経営という事が出来ます。
 この様な企業統治スタイルが、変化の激しい現代に対応できなくなって来たのは事実でしょう。「西武グループの力の根源」である土地資産はバブル崩壊で大きく毀損し、1980〜90年代には持て囃されていた堤義明氏のワンマン経営も時代の変化に伴い段々メッキが剥がれてきます。その西武グループが抱える矛盾・問題点が一気に噴出したのが、正しく一連の「西武事件」で有るといえます。

 ● 西武グループの「矛盾」が表面化した「西武事件」

 此処では良く「西武事件」という呼び方を使って居ますが、これは「一つの事件」を指して居る物では有りません。
 私が称する「西武事件」とは、04年3月の 総会屋への利益供与事件 から、10月の有価証券報告書への虚偽記載問題発生( コクド保有の名義株問題 )、11月の「 西武グループ経営改革委員会 」の設置、12月の西武鉄道東証上場廃止、05年2月の小柳西武鉄道前社長自殺、3月の堤前会長の証券取引法違反による逮捕(10月有罪確定)、8月の 持株会社型式のグループ再編案決定 、11月の グループ再編スキームの決定(外資を含む投資ファンドの資本注入を含む再編案) 06年3月の グループ再編手続き完了 までの、西武鉄道とコクドを巡る一連の事件と総称しています。
 この「西武事件」における一連の事象に関しては、その原因を二つに大別する事が出来ます。一つは「西武グループにおける堤家のワンマン経営」に起因する物であり、もう一つは「西武鉄道・コクドの経営悪化・信用不安」に起因する物です。これらの原因が複雑に絡み合い、今回の「西武事件」を形成しているといえます。

 しかし原因の大元は「堤家のワンマン経営」が作り出した西武グループの「構造的矛盾」に有る事は明らかです。その根源に有る物は堤康次郎氏が、実質的に堤家の資産を全てコクドに集結させ、そのコクドから企業グループを支配するという、上記で述べた様な独特の企業統治形態を作り出した事です。
 要はコクドを中心とする西武グループは、堤家の私物に過ぎ無かったと言う事です。その私物を管理する為に、堤家がコクドの株を握りコクドが西武グループ全体の会社の株を握る形態を作り、私物で有るが故にオーナーの堤義明氏が絶対的に君臨しワンマン経営を行ってきたのです。
 けれどもこの様な企業統治の形態は、「前近代的」であれども中小のオーナー企業であれば別に珍しくは有りません。しかし其処に「上場会社」である西武鉄道が存在し、出資者が多数に渡り公的なルールに従わなければならず公開された経営が行われるべき上場企業が、オーナー所有でワンマン経営の企業の統治下に有り、同一の企業グループを形成していた事が、西武グループに多いなる矛盾をもたらします。
 その矛盾に加えてワンマン経営の弊害を「灰色の組織」に漬け込まれて、今回の問題の発端で有る「総会屋への利益供与事件」が発生し、其処で「西武グループの闇」に公的な捜査が入った事で、芋づる式に「有価証券報告書への虚偽記載問題」や「名義株の存在」などの問題が発覚し、西武グループを追い積める事になり、それが西武グループの経営に暗い影を落とし経営不振と信用不安が表面化する事になります。

 結局の所「西武事件」は、今から過去を振り返れば「何時か起きるべき物だった」という事が明らかになります。実際影で限界まで制度疲労を起こしていた「コクドを中心とする企業統治形態」と「堤家を筆頭にするワンマン経営形態」が遂に破綻した結果が「西武事件」と言う事になります。
 しかし大手民鉄グループでは、過去に同族的な経営が行われていた企業グループの内、阪急・東急・小田急で創業家一族が経営の第一線から完全に姿を消しています。特にバブル崩壊後、東急の五島家では三代目の五島哲氏が東急建設の経営不振の責任を取らされ第一線を退き、小田急では創業家に連なる利光國夫会長兼グループCEOが「名義株問題」で退任するなど、「同族的経営の崩壊」が着実に進んでいました。
 その大きな流れの中に、今回の「西武事件」が有ったと捉える事も出来るでしょう。但し「同族的ワンマン経営」のスキームが強固であり、「ワンマン支配」が絶対で有った分西武グループの場合「破綻の規模」が大きかったとも言えます。そう言う意味では「西武事件」は大手民鉄の「同族経営」の終わりを意味する物なのかもしれません。


 ☆ 「西武事件」を経て西武グループは生まれ変わったのだろうか?

 ● 「西武事件」による西武グループの「解体」と「再生」

 上記の様な「西武事件」発生の結果起きたのが、「上場基準抵触(第10位までの上位株主も保有比率が80%を越えた)に依る西武鉄道上場廃止→筆頭株主のコクドの信用不安→融資残高トップのみずほFGによる経営への介入」という負の連鎖を辿る事になります。
 その様な「負の連鎖」を解消するために、融資残高トップ(2004年9月現在の西武鉄道・コクド・プリンスホテルへの融資残高2,875億円(全体で11,425億円))であったみずほフィナンシャルグループ(以下みずほFGと略す)が主導権を握り行った方策は「 西武グループ経営改革委員会 」の設置でした。この改革委員会には、諸井虔・太平洋セメント相談役を中心に構成されており、「財界のご意見番」とも言える諸井虔・太平洋セメント相談役が(表立っての)中心となり西武グループの再編のたたき台が作られる事になります。
 その「改革委員会での協議」の中で、改革委員会・みずほFGが主導権を巡り微妙に対立しながら、「元運輸審議官・西日本旅客鉄道株式会社副社長の平野直樹氏を会長、みずほコーポレート銀行副頭取の後藤高志氏を社長に迎える」という現在の経営体制が決まり、その後西武グループ経営改革委員会委員長の諸井虔氏・社長含みで就任した特別顧問の後藤高志氏・メインバンクのみずほFGが三つ巴になりながら再建計画を策定し、西武グループ改革委員会が05年3月に「 最終答申 」を提出します。

 しかし経営改革委員会の諸井虔氏やメインバンクのみずほFGと別の動きをしたのが、2005年2月に西武鉄道特別顧問・5月に西武鉄道社長に就任した後藤高志氏です。後藤氏は西武鉄道再編に関して、改革委員会の「コクドの主たる事業を西武鉄道に吸収分割・プリンスホテルを一体運営化のため吸収合併・西武鉄道に2000億円規模の増資という一体再生案」「キャッシュフロー赤字施設を中心に早期の売却・撤退や抜本的収益改善策を検討という事業峻別案」を骨格にした再生案に対し、後藤新社長は「持ち株会社でに事業再編」「相乗効果を加味してなるべく事業売却を避ける」事業再生案を検討の上実行します。
 その結果実現したのが、現在の西武ホールディングスを中心とした「 持株会社方式に依る再編 」「 サーベラス社・日興プリンシパル社を引受け先とする資本提携 」です。基本的に「持株会社方式に依る再編」でコクドを完全に分割し、堤義明氏を中心とする堤家の影響力を特定の範囲(コクド分割後の新会社NWコーポレーションが持つ西武株のの内限定的な部分)に封じ込めると同時に、「鉄道は鉄道会社」で「ホテルとリゾートはホテル会社」にで、其々独立性を持って運営させて、純粋持株会社がその上で統括する事で、今までの「未上場会社のコクドが上場会社西武鉄道から搾取する経営形態」から、「上場会社の持株会社が全事業を連結決算傘下に入れて統括する」という「普通の企業統治形態」に変身させる事になります。

 その様に05年下期に打ち出された「西武グループの再編」と「外部よりの資本注入」により、西武グループの「企業グループとしての解体と再生」が果たされます。
 しかし西武グループにはもう一つの問題が残されています。それは「総会屋利益供与事件」「有価証券報告書虚偽記載事件」などに代表される、「企業経営でコンプライアンスを考慮しない」経営体制と、「ワンマン経営に依存して目標を持たない」企業体質という、別の意味で企業経営の根幹を揺さぶる体質がまだ残っていました。
 それに対しては、西武グループでは一連の再編・資本増強が完成した06年3月に、「西武グループ企業倫理規範」および「西武グループ行動指針」を制定すると同時に、「西武グループ コンプライアンス・マニュアル」を配布するなど、コンプライアンス遵守に対して指針を示すと同時に、経営理念として「 グループビジョン 」を制定して、今後西武グループが如何なる方向を目指すか?を示しています。
 西武グループ自体には過去にも経営の理念を示す「スローガン」といえる物は存在していました。それはコクドの創業者で有る堤康次郎氏が掲げた「感謝 奉仕」という言葉です。この言葉は西武鉄道の駅の事務所に堤康次郎氏の写真と一緒に掲げられていました。しかしこの言葉は実際の西武グループの過去の経営と重ね合わして見ると、本来の意味で有る「(社会への)感謝 奉仕」ではなく「(堤家への)感謝 奉仕」という感じとして捉えられても可笑しくない形で西武グループは経営されてきました。
 その様な「社会的公器である企業の私物化」が好ましい筈がありませんし、現代社会で通用する物ではありません。その点を改革しなければ、幾ら企業統治の形態を変えても「器を造れど魂入れず」という状況になります。その点を十分認識した上で、新経営陣は「グループビジョン」を制定したと思います。これにより西武グループの再生は「事業形態の再構築」から「事業その物の再生」へ大きく歩みだす事になります。

 ● メインバンクのみずほFGが投入した「再生の切り札」後藤高志社長

 この様な不祥事によるワンマン経営者の退場と信用不安の発生で、崩壊寸前にまで陥った西武グループの「再生」を演出したのが、元々みずほFG出身でみずほコーポレート銀行副頭取で、当初は「西武グループ経営改革委員会」のメンバーであり、中間報告前に西武鉄道社長就任含みで西武鉄道特別顧問となり05年5月24日に社長に就任した後藤高志氏です。
 後藤高志氏は、現在は西武鉄道社長として「西武グループの顔」として有名になっている方ですが、西武鉄道社長への就任前に在籍していたみずほFG時代にも有名になる事を行っている人で、小説(高杉良の「呪縛 金融腐食列島Ⅱ)のモデルの1人にもなっています。それはみずほFG誕生前の第一勧業銀行時代に発生した1997年に起きた旧第一勧業銀行の総会屋事件を受けて、中堅幹部グループの主導者として旧体制の退陣と行内の組織改革を断行し、「4人組」の異名をとった経歴を持っており(この「四人組」の内の一人が作家の江上剛氏)、その後も第一勧業銀行審査第4部長として、長崎屋・そごう・シーガイア・セゾングループ等の大口不良債権処理に活躍しています。
 この経歴を見れば分かる通り、後藤高志氏は正しく「闇の世界との交流を絶ち」「不良債権処理を行う」スペシャリストであるといえます。この2つの問題は「総会屋利益供与事件と有価証券報告書虚偽記載事件」でコンプライアンス上問題が有る企業と見做され、同時に1兆1500億円もの有利子負債を抱えて過剰債務に苦しんでいた西武グループにも立場は違えど存在していた問題です。後藤高志氏は第一勧業銀行で闇の世界との精算と不良債権処理に当った第一人者です、その第一人者がコンプライアンス上の問題の処理と不良債権問題対策と経営改革を目指して西武鉄道社長に就任した事が、西武鉄道グループに取って幸せだったといえます。

 まして後藤氏は、色々な人達が「信念を貫く人」「損な役割でも引き受ける人」「銀行員らしくない自分の言葉で誰とでも渡りあう人」と評する信念の人であり、銀行員らしからぬ姿勢を貫きカリスマ性の有る人です。今回この件を調べるに当り下記の参考文献・HPを中心に後藤氏のインタビューなどを読みましたが、この基本的なイメージは変わって居ません。
 世間では、後藤氏は第一勧業銀行時代の「4人組」改革や不良債権処理問題に起因して行内の風当たりも強く、直言をする性格からみずほコーポレート銀行の齋藤宏頭取が邪魔に思い「体よく西武グループへ放逐した」という噂も有りますが、「放逐した」というのは世間が好きそうな「噂話」に過ぎず、実際の所は「後藤氏でなければワンマン経営者を失い迷走状態の西武グループを再建・再生出来ない」という判断の下、「切り札を出した」というのがみずほFGとしての判断で有ると思います。

 そう言う意味では西武グループは「再建に向けて最高の人材を招いた」といえるかもしれません。後藤氏自身はコーポレートガバナンス改革と不良債権処理のプロですし、西武グループとも「(TCF・西洋環境開発という)セゾングループの不良債権問題」で堤義明氏とも関係が有ると言う西武百貨店元社長の和田繁明氏と関係が深く「全く無縁な人ではない」というメリットも有りましたし、後藤氏自身が「 西武鉄道社長就任時の株主総会で『後藤は今まで西武に縁もゆかりもない人間』とのご指摘がありましたが、4歳の頃引っ越して来て以来五十数年、西武沿線に住んでいて、西武には人一倍愛着がある。私ほど西武鉄道を知ってる者はいない。そう申し上げたら、株主の皆さんも納得して下さった 」というほど、西武グループに関して個人的愛着を持っている人です。その様な人が西武グループの再建に携わったと言う事自体が「西武グループ最大のラッキー」なのかもしれません。
 その様に「西武を愛する」とまで言っても過言ではない経営者を招いて「再生」と「改革」を始めて約2年半強が経過しようとしています。その時期の中で西武鉄道にも変化が生まれようとしています。次ではその西武鉄道の変化の姿について見て見たいと思います。


 ☆ 西武鉄道の変化の象徴!? 新型電車30000系「スマイルトレイン」を見る

 この様に「混乱と激動の時代」を経て、後藤社長の下で再生へ向けて大きく歩みだして居る西武鉄道グループですが、その西武グループの「再生と変化」を象徴するプロジェクトが、今まさに世間に出ようとしています。それが新型通勤車両30000系「スマイルトレイン」です。
 確かに普通に見れば「新しい通勤型車両の登場」は、同じ新型車両の登場でも「 ロマンスカーMSE 」の様に話題性や革新性の有るイベントとは異なり、地味な「通勤車両」で有るが故に鉄道マニアなどが注目する事は有れども、世間一般の注目を集める事は低いイベントです。
しかし今回の30000系「スマイルトレイン」は少々異なります。30000系スマイルトレインに関しては開発チームに(西武鉄道では始めての)組織・性別横断のプロジェクトチームが作られて、新車両の開発が行われました。これは新生西武グループとして「トップダウンからボトムアップへ」という経営の有り方の変化を示す重要な意味があり、それにより今回の30000系「スマイルトレイン」の登場は、西武鉄道後藤社長のインタビューと共にNHKBSの「 経済最前線 」で放送されるなど、色々な所で多くの注目を集めました。

 その30000系「スマイルトレイン」ですが、1月27日に第一編成が搬入後早速1月28日に報道公開が行われ、その後第二編成・第三編成の搬入や各種試運転・株主への試乗会などが行われて居ましたが、3月29日土曜日に「 30000系デビューイベント 」が行われ、公式に始めての一般への披露が行われる事になりました。
 今回この文を書くに当り、やはり「西武鉄道変革の象徴」として、30000系は取り上げない訳には行きません。30000系は4月後半に新宿線で運転開始という話は聞いて居ましたが、流石に4月までは待つ事が出来ません。という訳で今回仕事で徹夜明けでしたが、3月29日午後小手指の車両基地まで30000系のデビューイベントを見学に行く事にしました。

  
左:30000系「スマイルトレイン」 右:ドーム型天井を採用して特徴的な車内

 30000系のデビューイベントが行われていた西武鉄道の小手指車両基地に到着したのは、仕事を終わらせた後の2時過ぎでした。イベント自体は9時〜15時迄だったので、見る時間は1時間程度しか有りません。その為多くの家族連れ・鉄道マニアが訪れて混雑していた会場内でしたが、上手く廻りながら「車両撮影」「車内見学」「床下見学」の3つのコースを見る事が出来ました。此処では30000系スマイルトレインの最大の特証で有る「車内のアコモディーション」を中心に取り上げたいと思います。
 基本的に西武30000系は、日立製作所が売り出し中の標準車両「 A-train 」であり、有る程度標準化が進んだ車両シリーズで有るため、東武鉄道50000系シリーズや東京メトロ10000系など類似の車両は多数存在するのが実状です。もっと言うと同じ西武鉄道で1999年に登場した同じ日立の「A-train」系列で有る20000系の「最新技術を用いたマイナーチェンジバージョン」と言う事が出来ます。しかし大きく異なるのは「車両製作に対する考え方」と「利用者・女性の視点を採用した車内アコモディーション」といえるでしょう。

  
つり革・座席のモケットのデザインに女性の感性が光るのが分かる  左:優先席 右:普通座席

 その特徴的といえるアコモディーションに関しては、今流行りの「ユニバーサルデザイン」に基づいて基本的な部分に関してはデザインされて居ると推察します。ですから現在の最新の車両と見比べると「似ているな」と感じる点は多数あります。加えて情報提供用のドア上の液晶モニターなど現在の最新車両で採用されて居る「最新設備」は、やはり30000系スマイルトレインでも例外なく採用されています。
 その様な「A-train」のFSWを用いたアルミダブルスキン構体による標準車体と、「ユニバーサルデザイン」に基づいた普遍的な物を採用したアコモディーションの基礎的部分という「変化の出来ない」部分に対し、30000系「スマイルトレイン」では前面形状・車内の細かいデザインで「変化と個性」を演出しました。
 実際に、30000系のプロジェクトでは「Smile Train〜人にやさしく、みんなの笑顔をつくりだす車両」というコンセプトを打ち出し、デザインのモチーフに「たまご」を据えて、その中で外観は標準車体に絡まない前面形状で「たまご&Smile」を意識したデザインを採用し、車内でも「たまごを意識した手摺り・袖仕切り・座席背もたれの曲線を多用した形状」や「曲線を意識したドーム型天井」や「柄を工夫して個性を出した座席のモケット」などの、標準仕様とユニバーサルデザインという「動かす事の出来ない」基礎部分が有る中で、出来る限りの「デザインの工夫」を行い個性を演出しています。
 この様に見ると、西武30000系は鉄道車両として基本的に制約を受ける部分や標準車体を採用する事に寄る標準化の制約など「数多い制約」を抱えつつ、変えられる所を変えて「変化を演出する」という点で最大限の努力をした事は感じられました。同じ「A-train」系列で似た時期に登場した東京メトロ10000系と比べても、デザインで30000系の基本コンセプトである「Smile Train〜人にやさしく、みんなの笑顔をつくりだす車両」を上手く表現して居て、「今までの西武の車両と明らかに違うな」と感じました。

  
左:車内で案内をしていた30000系プロジェクトのメンバー 右:30000系完成時の後藤社長とプロジェクトメンバーの記念写真

 今回新造車両で有る30000系を見て「今までの西武の車両と明らかに違うな」と感じさせられましたが、この様な変化を生み出したのは、今までの西武鉄道では考えられない「西武鉄道初の組織・性別横断のプロジェクトチーム」で車両について検討を加えられた事で、色々な新しい考えが車両製造に反映された事であろうと思います。
 実際30000系のデビューイベントで、車内の見学では各車両にプロジェクトメンバーの方々が居て車内の設備などを説明していました。そのメンバーを見ても写真の様に女性が多く見受けましたし、説明に立たれていたプロジェクトメンバーが付けている名札を見ると「不動産部」「沿線営業部」などと書いてあり、鉄道現業とは関係の殆ど無い組織の人々が30000系プロジェクトに参加している事が分かりました。
 これぞ30000系「スマイルトレイン」が示した「西武鉄道変革の象徴」で有る事は間違いありません。その変化を示しているのは、上記右の「30000系完成時の後藤社長とプロジェクトメンバーの記念写真」です。これは1月28日の報道公開時に撮影された物で、今回のデビューイベントでも車両内公開や30000系プロジェクトの軌跡を案内したビデオ放送などでも出ていましたし、日経ビジネス08年2月11日号の「西武再生、1000日の苦闘」でも表紙に使われた写真です。この写真の何が「変化」を示しているか?というと、答えは単純明快「社員が主体となり進めたボトムアップ型のプロジェクトが上手く行った」「西武鉄道の経営者が社員と共に進む姿を公に示した」という「大きな変化」を示しているのです。この様な「鉄道車両の披露で経営者と社員のプロジェクトメンバーが並んで記念写真を撮る」という事は、はっきり言って「堤義明氏経営時代の西武鉄道」では絶対考えられない写真です。ですからこの1枚の写真こそ「西武鉄道変革の象徴」なのです。

 確かに「デザイン論」だけで言えば、小田急がロマンスカーVSE・MSEで行った事やJR九州が各種車両新造で行った様に、「著名な専門デザイナー」を採用してデザインを行えばもっとインパクトの有るデザインが出来たかもしれません。その点「デザインその物の素晴らしさ」だけを見ると、(個人的好みも有りますが)社内プロジェクトと車両メーカーデザイナーがメインでデザインした西武30000系「スマイルトレイン」は劣る点が有るといえるかもしれません。
 しかし、今回に限って言えば「デザインの優劣」という結果論が重要なのでは有りません。30000系スマイルトレインプロジェクトが「西武鉄道の全社内が協力して作り上げた、組織・性別横断のプロジェクトチームが造った車両」という事が重要であり、その車両を造るプロセスが「西武鉄道の変革」という視点で見る場合に重要だったのです。そういう意味で考えれば30000系スマイルトレインプロジェクトは成功だったと思います。
 今回車両内部やプロジェクトの一端を見る事が出来て、その様な「30000系スマイルトレインが示した西武鉄道の変化への胎動」を感じる事が出来ただけでも、小手指まで出かけてデビューイベントを見学した価値は有ったと思います。この様に見た限りでは30000系スマイルトレインプロジェクトで西武鉄道は着実では有れども変革しつつ有ると断言出来るでしょう。


 ☆ (あとがきに代えて)果たして西武グループにも「明けない夜はない」のだろうか?

 ● 西武鉄道グループには「変化と再生の胎動」が生まれてきたか?

 この様に「西武事件」の発生から約4年、後藤高志氏が社長に就任して西武グループの改革が始まってから約3年が経過しようとしています。その間に西武グループに関してはそのグループ形態も大きく変わりましたし、不採算事業を中心とした資産・事業リストラが行われています。果たして西武グループは後藤社長が主導権を握って以来約3年間で行われた「改革」で「変化と再生」を図る事が出来たのでしょうか?
 少なくとも後藤体制が成立してから約3年で、西武グループは確実に変わりつつ有ると思います。西武グループの改革は当初の組織変革・リストラで「負の側面」の整理が一段落した上で、次の段階ともいえる「社員の意識改革」「お客様を向いた施策を目指す営業改革」「収益の期待出来る新規事業の開拓」というステップに進んで居ると感じています。
 実際西武グループの状況をみれば、「改革の成果」は確実に出て居ると感じます。前で取り上げた「西武鉄道初の組織・性別横断のプロジェクトチーム」で行われた30000系スマイルトレインプロジェクトは正しく「後藤改革の成果」で有ると思いますし、それ以外にも「 所沢駅および駅周辺の開発基本構想 」「 Emio(エミオ)練馬Emio(エミオ)中村橋 」等の駅ナカ店舗開発や「 西武鉄道とファミリーマートが駅売店の共同展開 」「 ペット関連事業の開始 」等の新規事業開発や「 SEIBU プリンスカード発行 」というグループ戦略の強化などが着々と進んでいます。
 加えて「新たな企業イメージの構築」に関しても動き出しています。2007年4月1日から「 コーポレートシンボルマーク・コーポレートカラー 」が制定され、車両に貼られてる様になってます。加えて08年3月27日から20年ぶりに 西武鉄道の制服がリニューアル されました。制服に関しても「制服検討委員会」が出来て社員の意見を取りいれて改定がなされており「社員の意見を取りいれる改革」の下で行われて居る事も今までの西武グループの経営から見れば特筆すべき物ですが、それだけでなく「新生西武グループ」「新生西武鉄道」をイメージ付ける為に、新たなコーポレイトアイデンティティの制定・宣伝が行われている事自体に、「西武グループは変わりつつある」事を示しているといえます。
 この様な点から見れば、西武グループの「変化と再生の胎動」は明らかに生まれつつ有る事は間違いありませんし、後藤新体制下で約3年に渡り行われてきた改革の果実がやっと目に見えて現れてきたといえます。

 しかしながら、この様な「変化と再生の胎動」が現れつつ有る西武グループですが、残念ながら未だ「過去の認識を引きずって居る」と世間に感じさせる様な事件も存在しています。それは「 高輪プリンスホテルにおける日教組教研集会の予約取り消し 」に関する問題です。
 これに関しては、東京高裁が使用を命じる仮処分を下していたり、日教組が損害賠償請求の訴訟を起こすなど、現在も係争中の問題です。又西武グループも 説明文 を出していますし、この問題に関して後藤社長も インタビュー に答えています。この問題は係争中の上、今回述べたい本題に触れる問題ではないので、この問題に関してコメントをするつもりは有りません。
 けれども、この問題は「西武グループ内に未だに改革の肝心な部分が行き渡っていない」事を示しています。それは現業の判断能力の欠如です。西武グループに取って最大の問題は「何故この様な予約を取ってしまったのか?」という一点に尽きます。確かに後藤社長はインタビューで「私に上がってきたし、しかも解約せざるを得ないという判断を伴っていた。」と言われているので、ネガティブな報告がトップに上がるシステムは出来ていて、しかも現場で判断が行われていると言う「最低限の危機管理」は機能していたと言えます。しかしながら問題は「日教組の教研集会は大量の街宣車が来て騒動になるのは有名な話」であるのに、何故「一番最初で混乱を予知して予約を断れ無かったのか?」という点です。インタビューで後藤社長も「何事も一歩踏み込んでチェックし、判断する。この重要性が、身に染みた。」と言って居ますが、正しくプリンスホテルの現業社員に「仕事を取ればOK」ではなく「一歩踏み込んで広く物事を考える」という思考が足りなかったからこそ、今回のような騒動を引き起こしたといえます。
 この様に「判断能力に欠けた社員」の存在は、有る意味「堤時代の弊害」とも言えますが、それを打破する事が西武鉄道の改革に課せられた使命で有るといえます。そういう点では今回の問題は「西武グループの改革は未だ途上で有る」事を示しています。
 ですから、西武グループには「変化と再生の動き」が有るのは間違い有りませんが、未だ是正されて居ない点も有ります。だから未だに「胎動」なのです。そう考えると今後とも西武グループの「改革」と「変革と再生の動き」は続いていかなければならないといえます。

 ● 「新生」西武鉄道グループは何処へ行くか?

 その様に「変化と再生の胎動」が発生していて、確実に変わりつつ有る西武グループですが、果たして西武グループは今後どのような方向を目指すのでしょうか?。西武グループは大きな課題を幾つか抱えています。此処で「鉄道事業」「アンバランスな西武グループのグループ構成」「ポスト後藤体制を如何するか?」という3つの西武グループの課題に絞って、「新生」西武グループについて考えたいと思います。

 先ずは西武鉄道の「鉄道事業」についてです。
 現在日本の民鉄会社の鉄道事業は、バブル崩壊後継続していた乗客減少の流れがここ数年でやっと止まり同時に減収の流れも止まり、何とか「小康状態」を保っているといえます。それは西武鉄道に置いても例外ではありません。
 しかし「小康状態」が長く続かない事は明らかです。在京民鉄各社ではここ数年「勝ち組」「負け組」が鮮明になってきていると感じて居ますが、「勝ち組」の代表格が東急・小田急であれば、西武鉄道は残念ながら「負け組」に入る事は間違い有りません。それは沿線イメージ・ブランド力等の差が大きいですし、西武鉄道グループは今まで鉄道沿線の開発に注力してきませんでした。その為「沿線の活力」という点で勝ち組沿線と比べると大きく劣り、今後新たに「西武沿線を居住地として選択する住民」が減少する可能性も指摘されています。その結果起きる事が「沿線の高齢化」であり、それは沿線活力の減少・沿線人口の減少を引き起こし最終的には鉄道輸送量の減少を招く物です。
 加えて、西武鉄道の「2大幹線」である池袋線・新宿線では「池袋線→練馬から都営新宿線への逸走・新宿線→沿線からバスでJR中央線への逸走」という競争に依る利用客の逸走が起きています。要は西武池袋線・新宿線には乗客を引き付けるだけの競争力が存在しないと言う事になります。
 この様に見ると、西武鉄道の鉄道事業は「沿線の衰退」「競争力低下に依る逸走」というダブルパンチを受けている事は間違いありません。これでは今の一時の小康状態が過ぎてしまえば、乗客減少・運輸収入減少の流れを止められなくなり「転落の負のスパイラル」を負け組目指してまっしぐらと言う事になりかねません。
 鉄道会社の企業集団に取って「鉄道事業」は誰が何を言おうと「事業の根幹」で有る事は間違い有りません。西武鉄道の場合「過去のコクドによる搾取」で投資を推進すべき1980年代〜90年代に投資が限定的であり、今では「インフラが貧弱」という状況になってしまったために、沿線活力・競争力を失ってしまっています。この状況を打破する事が西武鉄道の「鉄道事業」について必要な事で有るといえます。
 その沿線活力・競争力向上の切り札が池袋線・新宿線に一つずつ有ります。それが「西武池袋線と東京メトロ副都心線の乗り入れ開始」と「 西武新宿線と東京メトロ東西線の乗り入れ構想 」です。どちらも今流行りの「ブレークスルーによるシームレス化」という流れですが、このプロジェクトは在京大手民鉄の中で地下鉄乗入が一番進んで居なかった西武鉄道に取っては「待ちに待った都心への複数直通ルートの構築」になります。
 この東京メトロとの直通運転を生かさない手はありません。しかしその事に関しては西武鉄道も気が付いて居ると思います。西武池袋線⇔東京メトロ副都心線の直通運転に関しては本年6月14日に開始が決まっておりますし、その ダイヤも発表 されています。それを見る限り、「東京メトロも頑張っているな」と感じると同時に「西武も頑張っているぞ」と感じます。特に今まで新木場行き普通が主体だった直通運転が、「渋谷行き快速電車」が運行開始され、朝の直通本数も今までの新木場・新線池袋行き8本→新木場行き普通6本+渋谷行き普通2本+渋谷行き快速4本と大幅増強・利便性向上がなされています。
 この様に、池袋線に関しては「地下鉄直通を利用した利便性向上」が図られています。この後には2012年度には東京メトロ副都心線を挟んで東急東横線と直通運転が決定していますし、 石神井公園駅の高架化・複々線化工事 が行われています。これらが現実化する時に西武池袋線はもう一段の進化をするでしょう。その時にも積極的施策を打つ事で、西武池袋線の競争力と魅力が向上する事でしょう。
 後は新宿線への対策です。新宿線とその支線で有る拝島線は駅勢圏南側でJR中央線に乗客を奪われていて苦境が続いています。特に拝島線に関しては JR中央線立川に流れる沿線住民が多く 苦戦しています。 今回のダイヤ改正 でも対応策として「拝島快速」を新設しており「手をこまねいている」訳では有りませんが、対JR中央線で競争力強化の切り札がない状況です。そうなると巨額のインフラ投資を伴いますが、西武新宿線の利便性向上と対JR中央線競争力向上の施策として、都心直通ルートのない西武新宿線への対策として「西武新宿線と東京メトロ東西線の乗り入れ構想」の早期実現が待たれる事になります。
 これらの施策が早期にかつ積極的に実行され、そのインフラ改善を生かすダイヤ改正でも積極的施策を行い、池袋線・新宿線の利便性向上を図り沿線の魅力を向上する事が、西武グループの根幹で有る鉄道事業の強化には必要で有るといえます。

  
左:スマイルトレイン&副都心線直通が西武鉄道を変えるか? 右:西武鉄道グループは「再生」から「新生」の段階に入ったのか?

 続いては「アンバランスな西武グループのグループ構成」についてです。
 西武グループはグループの企業構成で非常にアンバランスな構成となっています。それは在京大手民鉄企業グループで唯一「流通事業を傘下に持って居ない」という点です。
 これは堤家の「家内事情」に由来します。当初は西武グループには西武百貨店・西友と言う百貨店・スーパーが存在して居ましたが、堤康次郎氏死去後の相続問題で、国土計画と西武鉄道を「妾の子」である堤義明氏が相続した為、兄であり正妻の子で有る堤清二氏が西武グループの流通事業を分け与えられる形となり、その後の兄弟間の骨肉の争いで最終的に国土計画・西武鉄道を核とする西武グループと西武百貨店・西友を核とするセゾングループに分割され、別々の道を歩む事になります。その後セゾングループがバブル崩壊後解体され、西武百貨店→セブン&Iホールディングス・西友→ウォールマート・ファミリーマート→伊藤忠商事傘下に収まり、結果として「西武グループには流通事業が無い」という状況になっています。
 しかしこれは「沿線魅力の向上」「グループ総合力の発揮」という点で大きく劣る事になります。今や企業・沿線魅力の向上に関しては、鉄道・不動産事業だけでは片手落ちとなっています。国鉄解体から20年、JR東日本がこれだけ発展したのもルミネに代表される駅ビル業を「不動産賃貸」から「流通業」に脱皮させた事が大きいといえます。その流通業のノウハウが有るからこそ「 駅ナカ店舗 」でも成功を収めていますし、 Suicaで電子マネー機能を重視 してこれだけの成功を収めているのです。今や鉄道会社の企業集団も「総合生活産業」でなければなりません。そのツールとして流通業は非常に重要です。
 その「総合生活産業」としての重要なツールを持って居ない事は、西武グループの今後の成長に取って極めて重大な足枷になる可能性が有ります。西武グループでも「 駅ナカでファミリーマートとの提携 」や「高架下店舗で西友を誘致」など、旧セゾングループ系流通企業との提携を図るなどして居ますが、個別的な施策に終始している感じも有ります。此処に何か有効な手を打たないと、「総合生活産業」として今後西武グループが成長して行く足枷になる可能性が有ります。
 これは今の着実な新規事業の育成で解消出来る問題ではありません。今は「有るグループ事業の収益力向上」を図る事で、西武グループは当座の成長余力を確保する事が出来ます。しかしその先が問題です。流通部門を欠いて歪なグループ構成の西武グループはグループ規模に比して総合力で劣る事になります。その状況で如何にして成長戦略を描くか?欠けている流通分野の育成・他企業との包括提携・M&Aを含めて、より総合力を強化した形での成長戦略が西武グループに求められています。

 最後に「ポスト後藤体制を如何するか?」という課題です。
 西武グループでは、堤康次郎氏・堤義明氏による世襲のワンマン経営が長く続いていた為に、残念ながら社内に人材が育って居ません。その為大手民鉄では稀有な例ですが、過去においても西武鉄道社長には国鉄出身の仁杉巌氏(鉄建公団総裁・国鉄総裁)や運輸省出身の小柳皓正氏(運輸省→軽自動車検査協会理事)など、官僚出身の社長が就任しています。要は「堤家の番頭」といえる立場の人が育って居なかったのです。
 今回堤家ワンマン経営の崩壊への対応と西武グループの再生のために、メインバンクのみずほFGから後藤高志氏が来て社長に就任しました。後藤氏は確固たる信念を持ち経営を行って居ますが、堤氏的なワンマン経営ではありませんがカリスマ性の高い人であり、その後藤氏の高いカリスマ性が現在の西武グループの再生を支えて牽引して居る事は間違いありません。
 後藤社長は2005年に社長就任なので今年社長就任4年目に突入します。日本の大企業で言えば普通社長の任期は「2期4年」というパターンが多いです。そう考えると来年後藤社長は「2期4年」を経過する事になります。まあ西武グループは未だ再生途上ですからもう一期後藤社長が続投したとしても、あと3年チョットで後継社長にバトンタッチする事になります。
 問題はこの時「ポスト後藤体制」を上手く造る事が出来るか?という点です。西武グループは良い意味でも悪い意味でも「カリスマに支えられた経営」が続いています。その様な経営体制の中で、後藤社長の後を次げる後継者が果たして西武グループ内部に居るのだろうか?というのが大きな問題です。外から経営者を招聘するという手段もありますが、今でも有る意味閉鎖的な西武グループですから、後藤社長の様に上手く西武グループに溶け込めるか?という問題があります。後藤社長も西武グループ内部で求心力を得るために再建計画策定では出身母体のみずほFGと喧嘩するなどかなりの努力をしたと聞いています。後藤社長の後継者の外部から招聘する場合又この様な努力を繰り返す必要が有るかもしれません。そうなると外部招聘はかなりの困難が伴う事になります。
 こうなると非常に重要な問題は、西武グループ内部で後藤社長の後継者を早急に育成する必要が有ると言う事です。2期目があと1年チョットとなった今の段階でポスト後藤体制を担う後継者が表に出てきていないと言う事は、未だ「西武グループ内に適当な後継者が居ない」可能性が高いといえます。この状況と西武グループの再生状況から考えると、あと1期後藤社長が続投する可能性が高いです。そうなると3期目の後藤社長の最大の課題は「ポスト後藤体制を担う人材を育てる」事になります。それが西武グループの今後の為にも非常に重要です。

 西武グループの再生に関しては、前述の様に「一定の成果」が出ている事は間違い有りません。社内改革は進んでいますしその成果も出ています。収益状況に関しても西武ホールディングスの連結収益は経常利益216億円・純利益432億円と決して低くありません。そう言う意味では「西武グループは再生を果たした」といえます。
 しかし上述の様に西武グループは未だ多くの課題を抱えている事は間違い有りません。取りあえず「再生」は果たしたものの、その先の「新生」となると前述の様に非常に難しい課題を抱えているといえます。しかし「再生」の中で西武グループは大きく変化しました。その変化については30000系スマイルトレインの様に色々な所で見る事が出来ます。その西武グループの「良い方向への変化」を生かせば、先に待ち受けている大きな困難についても打破出来ると信じます。
 けれども只単純に信じるだけでは駄目で、有効な施策を打たなければ困難は打破出来ません。「再生」を果たして一息付ける状況になった今こそ、次の困難の打破に向けて準備をする重要な時期です。その事について整備グループは十二分に認識して将来に向けての「次の一手」を今から打って欲しいと思います。

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 今回「西武事件」以降の西武グループの動きについて取り上げましたが、私に取って西武鉄道グループと「西武事件」とその後の経営問題に関しては、「何時か取り上げたい問題」と虎視眈々と時期を待っていた話題です。
 実際に約2年前の2006年5月に「西武事件」が世間を騒がしていた時期に、今回とはチョット切り口を変えて「鉄道業界最強の血族独裁支配の崩壊を西武鉄道・東急電鉄との比較などから考える」という視点で「西武鉄道研究」という一文を途中まで書いていました。今回のこの「「スマイルトレイン」の笑顔は西武鉄道を変えたのか?」において、前段においてその一部分を活用しています。そう言う意味では今回の「「スマイルトレイン」の笑顔は西武鉄道を変えたのか?」は、私に取ってリベンジ作品とも言えます。
 
 私自身は西武の後藤社長ほどでは有りませんが、生まれてこの方三十数年西武池袋線沿線に生まれ育ってきている為、西武鉄道に関してはずっと趣味と興味と研究の対象では有りました。実際子供の時から見ている為、鉄道に関して興味を持った最初は西武鉄道でした。又まえがきで書いた様に、鉄道会社の経営論に興味を持ち始めたきっかけも西武グループでした。そう言う意味では「TAKAの交通論」の原点は西武鉄道に有るのかもしれません。
 しかしながら、「TAKAの交通論」の原点が西武グループに有りながら、年齢が経過するにつれてその周囲の社会的環境から、西武グループと縁遠くなると同時に子供の時の視点のような友好的な見方を出来なくなっていました。
 けれども、近年その「周囲の社会的環境」が又微妙に変わり、西武グループを敵対的に見る必然性が少しずつですが薄れてきました。その様な私を取り巻く環境の微妙な変化から、今回比較的素直な視点から西武グループの経営について見る事が出来て、今までの「経営論研究の総括」という意味合いを込めながら、この一文を書く事が出来たと思っています。

 正直言って5年前までは、西武グループがこの様な形でワンマン経営が崩壊し、苦境に立たされるとは思いませんでした。
 民鉄企業経営で「同族経営の崩壊」は時代の流れで有るとは感じていました。実際西武グループで同族企業経営が崩壊した今日では、創業家一族が経営の第一線に残っているのは東武鉄道グループだけになりました。しかし阪急・東急・小田急・東武・西武など創業者一族の血族が経営者として登場して来た民鉄グループで、西武以外の各社では創業家一族は大株主上位にも出てこない程の持ち株しか所有して居ません。その為「同族支配」と言えども拘束力の有る「資本関係による支配」が存在しなかったために、その同族支配が崩れる事に関して「時代の流れに抗し切れ無かった」という見方をしても驚く事は有りませんでした。
 けれども「西武グループだけは別格」と思っていました。それは西武グループが「特異な企業統治形態」では有るものの、西武鉄道の株をコクドが多量に保有しコクドの株を堤義明氏が多量に保有するという「資本関係上の支配」が鉄壁で有ると考えていました。その為現在のような西武グループの状況は「想定外」といえる物でした。

 しかし現実には西武グループの同族経営は崩壊しました。けれども西武グループは「バンカーで有るが銀行に支配されない優れた経営者」といえる後藤高志氏と言う優れた経営者を迎える事に成功し、着実に再生の道を歩みだしています。
 その再生の道のりに関しては、西武鉄道を一利用者として毎日の様に利用している私には、「西武鉄道が日常の一部分」以上でも以下でもない変化のない存在になってしまい、なかなか「再生が進んでいる」事を実感する事が出来なく今まで来てしまいました。
 その中で久しぶりの西武グループの近況について報じた日経ビジネス08年2月11日号の「未来は自分の手でつかむ 西武再生1000日の苦闘」を読んで、西武グループの再生の進展状況を知る事が出来て、同時に偶々3月29日の30000系デビューイベントを見る事が出来て、「西武グループの再生は着実に進んでいる」事を知り感じる事が出来た事も有り、今回一念発起して西武グループについてこの様な一文を書く事にしました。
 実際客観的に見て本文中に書いた様に、西武グループの再生は紆余曲折・着実な歩みでは有りますが進んでいる事は間違い有りません。しかし同じく書いた様に西武グループの直面する課題も又多数有り、実際問題として今後とも西武グループには「苦難の道のり」が続く事は予想出来ます。
 しかし「再生の息吹」は確実に出て居るのですから、今後も有るであろう苦難にも負けずに今後とも着実に再生への道のりを辿って欲しいと願いながら、筆を置きたいと思います。

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 「参考サイト」
 ・ 西武鉄道㈱HP  ・ 西武グループHP  ・ 西武ホールディングスHP  ・ プリンスホテルHP  ・「 新型車両30000系 誕生までの軌跡 」(西武鉄道HP)
 ・YOMIURI ONLINE「 西武鉄道有価証券虚偽記載問題特集
 ・西武鉄道「 153期事業報告書 」「 154期事業報告書 」「 154期有価証券報告書
 ・西武ホールディングス「 IRライブラリ 」(有価証券報告書・決算短信・SEIBU GROUP Business Report)
 ・テレビ朝日「 トップに迫る 」 ・日刊ゲンダイ「 社長の私生活
 ・wikipedia 「 西武鉄道 」「 コクド 」「 セゾングループ 」  ・ 西武グループの歴史

 「参考文献」
 ・「西武争奪〜資産2兆円を巡る攻防〜(日本経済新聞社編)」 ・「西武事件〜「堤家」支配と日本社会〜(吉野源太郎著)」
 ・「西武VS東急戦国史 上・下 (小堺昭三)」
 ・日経ビジネス「05年3月7日号」「05年3月14日号」「08年2月11日号」
 ・Forbus「05年2月号」
 ・ダイヤモンド「02年5月25日号」「04年11月20日号」「05年3月19日号」
 ・鉄道ピクトリアル「92年5月増刊号 西武鉄道」「02年4月増刊号 西武鉄道」





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